太宰府政庁、桜の名所
4月初め福岡を旅したとき、漠然と西鉄電車に乗って太宰府に出かけた。20年近く前に行ったきりだし、「令和」がらみで太宰府天満宮が話題になっていたことぐらいは知っていた。そこで天満宮はさっさと参拝を終え、関連するお寺や史跡を回ることにしていた。
その最終目標が政庁跡だった。7世紀から10世紀にかけ、朝鮮半島や中国などの大陸との窓口の役割を務めていた役所。訪れてみると、芝生の広大な空き地のあちこちに当時の建物の礎石群が見えた。ただ、周囲にある見事な桜並木が満開。地元のお花見場所と思っていた。
「梅花の宴」博多人形で再現
明治の頃作られた石碑の碑文は読めないなと思いながら、帰ることにし、最後にバス停近くにある展示館に寄った。大したことはないだろうと思いながら、無料ということにひかれた。
中に入って目を引いたのはガラスケースに入った人形の姿だ。新元号の令和は、万葉集の中で太宰府で催された「梅花の宴」で詠まれた歌を集めた部分の前文から「令月にして」「風和ぎ」との言葉が取られたといわれている。その宴の模様が再現されていた。説明書きを読むと開かれたのは天平2年正月13日(西暦730年2月8日)。実に1300年以上も前だ。人形を作ったのは博多人形師だそうで、妙に明るく浮かれている。
坂本八幡宮、大友旅人の家
説明していた人に「この宴は太宰府天満宮の中?」と聞くと、政庁跡を抜けたところにある坂本八幡宮が前文を書いた大伴旅人の家とされており、「梅花の宴はそこで行われた可能性が強いと言われている」と話した。
そりゃ見なきゃもったいない。5分ほど歩いて、坂本八幡宮へ。たしかに桜も見ずにぞろぞろ歩いている人がいる。
地域の祠に参拝の人の列
神社は小さな地域の氏神様という感じだ。そこに数十人の参拝の列。地元にはそりゃびっくりだろう。なぜか令和の額縁入りがあり、神社をバックに記念撮影の人もいる。だれが額縁をと不思議な感じ。本殿前には机が出ており、男性2人が令和とのつながりを記したパンフを配っている。話してみると、当然ながら宮司はおらず、2人は氏子としてお世話しているのだという。
突然のことなのでいろいろトラブルが起きているのか、氏子と見られる人が怒鳴り合ってる姿も見えた。大変ですねというと、ホント大変と。ただ、ほとんど知られなかった地域だけに、嬉しい気分も
10連休は大フィーバーしそうだけど
梅の花はなかった。さすがに1300年もたっている。氏子さんには旅行会社から問い合わせが相次いでいるという。辺りを見回しても、大型バスが何台も入れるようなスペースはなさそう。道路も片側1車線。令和が始まる10連休はちょっと心配かも。
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