2019年3月4日月曜日

大往生の99歳、葬儀は音楽葬

 99歳になったばかりの伯父が逝った。消化機能不全や肺炎になってほぼ1カ月。意識はしっかりしていながら、延命治療も拒否し、最期は突然のように心停止したという。長患いをすることもなく、幸せな大往生だった。そこで喪主側が選択したのが音楽葬という聞いたことがない葬儀だった。坊主(お坊さん)大嫌いで無宗教の伯父の意思をくんだものだ。お経のない葬儀。まるで「送る会」のようだったが、これもありかと思った。


移民先のメキシコで生まれる


 伯父は9年前に交通事故死した私の母の兄。祖父母(伯父や母の両親)はメキシコに移民し、農業などに携わっていたが、母が生まれた後、稼いだ大金とともに日本に凱旋した。ハーレーダビットソンを持ち帰ったとの説もある。祖父母は生まれ故郷に多くの土地を買い一躍、金持ちとなった。そんな生い立ちが影響したのか、とても自由な人で旧制中学卒業後、おそらく旧制の高等商業に進学。長男にもかかわらず満州で就職。召集されたが、無事、復員し、戦後は地域初のデパートオープンに携わったほか、経営失敗後はクリーニング屋や当時、珍しかった鍵の複製する店を開き、組織の歯車にならない生き方を貫き続けた。

90代でもブログ執筆


 リタイア後、高齢にもかかわらず、いち早くインターネットの可能性に気づき、ホームページをつくったり、亡くなる少し前までブログを書き続けた(閉鎖された)。そんな高齢者のブログなんて聞いたことがない。ニュースで紹介したいぐらいだった。昨年9月、伯父の10歳ほど下の弟(もちろん私には叔父)の1周忌で元気に食事を食べ、昔話をしたのが最後に見た姿になった。ブログをやめたのはなぜ?と聞くと、「通信料が無茶高いから」と答えた。どういう契約だったのか、お世話してあげたかった。

さすがに身内ばかり


 さて、音楽葬だ。セレモニーホールの小部屋で開かれた葬儀の参列者は身内ばかり20人ほど。平日ともあって、参列は孫までで、5人ほどいるというひ孫は学校だ。99歳ともなると、同年代の知り合いは皆無。リタイア後長いこともあって、仕事がらみの関係者もいない。

お経も線香もない、黙祷、献花


 もちろんお坊さんはいない。だからお経もない。線香もない。黙祷の後、最初はバイオリン、フルート、あと一つの三重奏。3人の女性奏者によって伯父が好きだったという音楽が生演奏される。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」という曲のようだったが、調べてみると賛美歌。音楽好きだと聞いているけど、こういう曲がマジ好きだったの?と不思議な感じがする。音楽が流れる中、参列者が献花。

スライドで人生振り返る


 その後は葬儀を取り仕切ったいとこ(伯父の長女)が写真のスライドで伯父の人生を振り返った。母ともに映った幼い頃の写真。青春時代、軍隊時に富士山が見える裾野か御殿場での演習。戦後は絶頂期だったデパートオープン時代。私の両親と四国一周旅行に出かけた写真。孫、さらにはひ孫に囲まれる姿。短い葬儀のせいか、もっと見ていたかった。続いて、再びいとことその妹、喪主の伯母の家族3人がそれぞれあいさつした。

亡骸は献体に


 実は伯父は生前、ずっと献体する意思を示していた。だから、葬儀終了後はそのまま大学病院に直行する。そのため棺の中には何も入れないのかと思ったら、普通の葬儀と同じように棺に花を入れる。花で埋め尽くされた伯父の顔をあらためて見ると、2年前に先に逝ってしまった弟と同じ顔をしていた。

男たちはみんな死んだ


 棺は外で待っていた大学病院の車に乗せられた。霊柩車ではないのである。その後は食事会で終わった。伯父らしい斬新な墓がすでにあるというが、遺体は2年間帰ってこないとのこと。49日は?1周忌は?と気になるが、まあ余計なお世話だろう。
 彼の地では今頃、母や弟、さらには祖父母と楽しくやってるだろう。伯父と母は4人兄弟で男2人と女2人。伯父と弟、妹2人(一人は母)の夫と、男4人はこれで全員亡くなった。まあそんなものかと思う。
 

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