登場するだけで涙、涙
ストーリーで重要な役割を果たす凧。そう、あの前作の「凧をあげよう(Let's Go Fly a Kite)」の凧が舞い上がったとき、出るぞ出るぞと思った通り凧をつかんだメリー・ポピンズが空から舞い降りてくる。その瞬間、なぜか、どーっと涙が出始めた。目頭を押さえても涙は止まらない。声が出そうになるのを抑え、肩をふるわせる始末。懐かしい光景に出会ったような。言い表せない気持ちの揺れだ。後ろのお客さんはどう思っただろう。いいおっさんがなんで泣いているんだろうと。
ディック・ヴァン・ダイクが出てくるなんて
それだけではない。バックで「お砂糖ひとさじで(A Spoonful of Sugar)」や「2ペンスを鳩に(Feed the Birds (Tuppence a Bag))」などの曲が聞こえてくると、またまた目頭が熱くなる。極めつけはディック・ヴァン・ダイクの登場。御年92歳というおじいちゃんの見事なタップダンス。生きてることもすごいけど、この年の男が踊る?そんなことがあるのか?そして、涙。ハンドタオルを持っていてよかった。ハンカチだとびしょびしょだ。
初公開時に見た
正確な記憶はないが、見たのはまだ小学生だった日本公開時ではなかったか。それとも、少し後のリバイバル時か。いずれにしても、高校以降、見た記憶はない。その年になると、この種の映画に足を運ぶことは絶対なかった。でも、曲目はすごく覚えている。「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」という言葉は今でもよどみなく話せる。「Let's Go Fly a Kite」は今も口ずさむことがある。
つながりが激しい
ディズニーらしいよくできた映画だと思う。ただ、前作を見た人と初めて見る人だと、受け止め方はたぶん違うだろう。だって、冒頭の凧だけではない。とにかく、前作へのオマージュというかつながりが激しいのだ。姉のジェーンは慈善活動家。前作で婦人参政権運動をしていたお母さんが「古い鎖を断ち切って(Sister Suffragette)」と歌いながら入ってくるシーンを思い出す。
泡のお風呂に飛び込むシーンは「A Spoonful of Sugar」を思い起こさせるし、「ロイヤルドルトン・ミュージックホール」に出かけたシーンは「楽しい休日(Jolly Holiday)」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス(Supercalifragilisticexpialidocious)」での競馬場だ。
2ペンス、鳩や凧
メリル・ストリープの逆さまの館の出来事は「笑うことが好き(I Love to Laugh)」をイメージしてるのだろう。ラストに向けて、前作の幼いジェーンとマイケルが預けた2ペンスがとんでもない金額になっていることや、風船でみんなが飛び上がるシーンは「2ペンスを鳩に(Feed the Birds (Tuppence a Bag))」「英国の銀行(A British Bank (The Life I Lead))「凧をあげよう(Let's Go Fly a Kite)」を意識したものだ。
当時の子供はもはや60代
脚本をつくる際、前作を徹底的に分析し、どう今作とつなげていくか、練り上げたに違いない。そういう意味では、前作を見た人向けの要素が強い作品だ。ポピンズ登場シーンで号泣したのは、制作者側の意図にまんまとはまってしまったのか。とはいえ、前作は54年前。10歳前後の子供だってもはや60代。その親世代の大半はこの世にいない。
曲は前作に及ばなかった
曲に関しては、前作を上回ることはできなかったようだ。その後、何曲もがスタンダードナンバーとして、演奏され続けているのに比べると、今作では「幸せのありか(The Place Where Lost Things Go)」ぐらいしか思い浮かばない。前作を作曲したシャーマン兄弟がすごかったというべきだろうが、ストーリーなどにかなり制約が多かった今作で、歴史に残る大ヒットナンバーをつくれというのは無理な相談だろう。
滑稽なこき下ろす声
ところで、ネットで見ていると、「二番煎じ」などこき下ろす声もよく見かける。しかし、ディズニー作品この種のファンタジー映画、それもある意味で子供向けの作品を、大の大人がおそらく何度でも見たであろう上で、細かいところまで非難する姿はみっともないとしかいいようがない。できが良ければ名作となり、悪ければ消えていくだけの話。まあ、ひねくれ者はいつの時代にもいるけど。というか、何度でも見ている姿が滑稽だ。
それはともかく、会社でリターンズの話をしたら、前作を見た人はやはりポピンズの登場シーンで泣いたそうだ。やっぱりねえ。
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