2019年11月29日金曜日

殿堂で初めてプロレス見た(その2) 100キロ超えないレスラーの戦い

 いよいよ試合開始だ。特に緊張感はない。第1試合は辻陽太とカール・フレドリクスの対戦。ともに体重が100キロを超えないぐらいの均整が取れた体つき。ロープに飛ぶときの速さ、技のキレ。ジュニアヘビーの試合だが攻守が代わって面白い。ただし、ドスンとくるような威力は感じない。最後は逆えび固めでフレドリクス勝利。へえー、今でもあんな技がフィニッシュになるんだあ。たぶん、豊登とかの得意技だったけど、その後消えた技だと思ったけど、違うのね。


4×4タッグ、内藤哲也が人気


 続いて8人タッグ。その昔は3×3の6人タッグだったけど増えたんだあ。人気の内藤哲也ってレスラーが出るためか、会場がわーわーしている。試合はいきなり場外乱闘。いずれも100キロぐらいの体重か。正直、だれがだれとやってるのかよく分からないが、内藤がギブアップを奪う。やっぱ内藤はスターなんだろうね。


タッグ戦もラグビーW杯風


 もう1つも8人タッグ。面白いのは外人と日本人が同じチームになっている。かつては日本チームと外国人チームの戦いばかり。反則を犯す外国人を最後には日本人チームがやっつけるというシナリオだったが、ラグビーワールドカップ日本代表と同じく、外国人云々はなくなったみたい。まあ、陸上もバスケもテニスもハーフが強いしねえ。なぜかレスラーの1人がTバックビキニのおねーちゃんを連れていた。以前、アメリカのWWEでそんな姿を見たことがあるけど、真似かなあ。

休憩なく、飲み食いは無理


 残り4試合はジュニアタッグ30分1本勝負が続く。ここらで休みが入るのかと思ったけど、その気配はない。トイレ休憩に走る。しかし、こう慌ただしく試合が続いていくと、飲食をしている余裕はない。野球なら応援チームが守りの時間、相撲ならはっけよいの前まで飲んだり食べたりできるけど、食べていたら試合を見逃してしまう。
 ファイターチキンは350円と安い割には美味しかったけど、口に運ぶ間も惜しい。ましてや場外乱闘がしょっちゅう。特別リングサイドで食べ物は邪魔だわ。これじゃ、売れないよね。

なぜか外人が多い客席


 回りを見回してみる。こちら正面にある南側は大型ビジョンが見られるけど、こちらよりかなり上の方がまで座席がある。見る場所としては、こちらでギリギリ。あっちはビジョンを見てるのかなあ。今度は座席。こちらより左側は2列分、全部外人だった。日本に来て、こういう格闘技が面白いのかなあ。体つきなんて、外国人だと見に来てる客の方が立派。というか真ん前のおじさん、もちろん外国人だけど150キロぐらいありそうだった。

タイガーマスクがいた


 ジュニアタッグの1試合目。上村優也、タイガーマスク対金丸義信、エル・デスペラード。タイガーマスクっていたんだあ。何代目か知らないけど。ちょっと小さいなあ。試合開始間もなくアクシデント。マスクを脱がされそうになり、ホントにマスクが壊れてしまう。仕方ないのかリング下に頭を突っ込み、新しいマスクが届くのを待つ。しかし、届いたのは別の色。タイガーじゃなくなっちゃった。


別に立ち見の席


 一方の上村、若くて張りのある体つき。順調に育てば将来のエースになるかも。アマレスからの転向組で大卒だ。それほど大きくないけど、ミドル級ぐらいか。試合は一進一退も最後は上村が負けた。何かの技でギブアップしたか、フォールかは記憶にない。
 ふと見ると、リングの東西にフロアとは別に2階席のような場所があり、立ち見のファンがいた。横断幕が出せるのもこちらみたいだ。ヤジが飛びやすい場所らしいが、下から見ている分にはよく聞こえない。

ホスト風日本人タッグ


 タッグ2試合目。クラーク・コナーズ、TJP対エル・ファンタズモ、石森大二。1試合目同様、チームは日本人同士ということはない。
 3試合目は初めて日本人同士のチームだ。SHO、YOHというアイドル?いやホスト風のきれいな2人。どちらも175センチを超えない。なかなかスピーディーな動きで、女性ファンからの黄色い歓声も多い。ホストコンビが勝利する。


ベテラン田口、ロメロ人気


 最後の試合はロッキー・ロメロ、田口隆祐のコンビ対外人勢。どちらもベテランのようで、どっちが先に出るかもめるなど、なかなかのエンターテイナーぶり。40歳の田口、37歳のロメロ、ベテランらしい試合ぶりだ。ロメロはとても人気らしく、声が何度も飛んでいる。

9時きっちりに終了


 試合は30分1本勝負にしては長く20分を超えている。最後はロビー・イーグルス、ウィル・オスプレイ組が田口から3カウントで勝利。ちょうど9時、測ったような試合終了だった。
 試合後、外人勢がリングパフォーマンス。といっても、英語で言われても何のことやら分からない。すでに先を争うように出口に向かう人がいる。プロ野球も大相撲でも見た光景。電車の時間、あるいは平日ということもあるのだろうが、あんな風に急がないといけないって、何だかもったいないなあ。


観客数1481人


 すべてが終わったのは9時15分ごろ。幕が下りた感じ。どこか寂しい。とはいえ、どんな試合だったのか、誰がどうかっこよかったのか、このころにはほとんど記憶がなくなっていた。スポーツを見るって、臨場感を楽しむ以外、何もないのかなあ。
 この日の観客数は1481人。人気が出ているとはいえ、1500人に満たない興業なわけで、ちょっとしたライブというところか。武道館をはじめ、地方の体育館などもっと大きなキャパだとどういう感じなんだろうと心配かも。


社長はオランダ人


 入場したとき同様、階段を降りて外に出た。出てみると、あっという間に人がいなくなっていた。出待ちとかあったのかしら。
 そうそう、試合開始前、ロビーで「メイ社長と無料で写真が撮れます」と声がけしていた。メイ社長?後で調べてみると、オランダ人出身のビジネスマン。彼が新日本プロレスを立て直したのか。外国人のお客さんが多いのも何となく分かるような気がした。

2019年11月28日木曜日

殿堂で初めてプロレス見た スピーディーな試合ぶり 予想外

 格闘技の殿堂、東京・後楽園ホールにデビューした。平日の10月28日に行われた新日本プロレスの興行。プロレスに興味があるわけではないけど、以前と違ってファン層がかなり変わっていると聞くし、生きている間、1度ぐらいは見ていいかなと思っていた。ふたを開けてみると、巨人や大デブ、凶器反則による血しぶき飛び交う試合は皆無。均整の取れた肉体による空中戦を多用するスピーディーな戦いの場になっていた。これなら女性客も増えるはず。大デブだらけの大相撲はそろそろ考え直さないと。


日曜午後、翌月曜のチケット購入


 プロレスは前から行こうと考えていた。調べてみると、一番人気は新日本プロレス。近場の後楽園ホールを考えていたが、キャパが小さいせいかネットで見ると、平日でもチケットが結構、早く売れるようで、なかなかタイミングが合わなかった。
 ある日、チケットの状態を調べてみると、「指定席」はあまり残ってなかったけど、リングサイド、特別リングサイドは売れ残りがあり、これなら大丈夫と前日の日曜午後、ネットでチケットを購入した。

入場は階段優先


 5時半の開場で5時前に到着。後楽園ホールの入ったビル周辺にはプロレス客と思われる人々が待っている。今までのプロスポーツの経験だと売店はどこも行列。近くのコンビニでホットドッグとつまめるお菓子を購入して、備える。(結果的には不要かも)
 6時を回り、エレベーターでホールがある5階に上がると、狭いエレベーター前にホールにたくさんの人が待っている。ここに人がどんどん上がってきたらまずいんじゃないの?と思って係員に聞いてみると、中に入る客は階段優先です、との答。外に並んでいるとき、ぞろぞろ階段を上っていた人はそうだったんだと納得、エレベーターで下に降り、階段を上った。


びっくり階段の落書き


 驚いたのは階段の落書き。プロレスやプロボクシングの選手の名前や応援、あるいは非難の殴り書きが続く。どうやってあんな高いところに書けたんだという落書きも。この雰囲気、場末感ありあり。男だけスポーツだった時代がそのまま残っていた。コンサート会場とはまったく別世界なのね。
 階段の最後尾は4階ぐらい。で、前の方はすでに入場が始まっているようだった。すぐに列が動き出し、ホールに入った。エレベーターホールに負けないぐらいの狭い入口ホール、売店も窓口が3つほどしかなく、開始前お客さんが殺到したらどうなるんだろうと心配になる。


案外きれいな会場


 会場に入る。あれ、案外きれいじゃん。中央のリング、その周囲のパイプ椅子、それを取り巻く客席。階段やホールに比べると、明るくてきれいに感じる。さっそく自分の席を探すと、北側の最後尾。大相撲の桟敷に比べると、かなり近く、後ろを気にすることがなく見られると良かったなと思う。ただし、椅子は単なる板のベンチ。100均の折りたたみクッションを忘れたのを後悔する。


ビールとファイターチキン


 6時半の試合開始直前に、ビールと後楽園ホール名物のファイターチキン、サンドイッチを購入する。不思議なことにだれも並んでおらず、すぐに買えた。みんなどうなんだろうと思ったが、その理由も後で分かった。
 会場を見ると、男女が半々ぐらいか。カップルも多いし、外人も多い。私の知るプロレスってものすごい怖い男達の集団だったけど、ポスターを見る限り、優男風。だから人気なのか。


シングル1試合、残り6試合はタッグ


 この日は「Road to POWER STRUGGLE ~SUPER Jr. TAG LEAGUE 2019~」第10戦というイベントでシングルマッチ1試合、4×4の8人タッグが2試合の後、ジュニアのタッグ戦が4試合組まれていた。


2019年10月24日木曜日

梨ジャム、メチャうま 甘酸っぱくすっきり 

 夏みかん、イチゴ、桃と続いたジャム作り。今年の最後と思って梨ジャムに挑戦してみた。梨のジャムは産地以外であまり見かけることはないが、作ってみると、甘酸っぱい味でとてもすっきりしたジャムができた。水分が多すぎて量は作れないが、これほど美味しいジャムができるなら、もっと作っておけばよかったと、ちょっと後悔している。


千葉の梨街道で「仕入れ」


 前々から千葉県の梨街道に行き、美味しい梨を安くゲットしたいと思ってた。10年以上前、佐賀県伊万里市の梨産地直売店で、贈答用を買ったら、それ以上の数の梨をタダでもらった記憶があり、産地なら同じことが起きるかなと、貧乏くさいことを考えていた。
まず食用、美味しい

 9月初め、市川市の大町にある梨街道に出かけた。街道には梨直売店がたくさん並び、どれに入っていいのか目移りする。そのうちの1つに入って、大きめ豊水を5、6個買った。その場で食べてくださいと冷やした1個をもらって皮をとると、ホントに美味しい梨だった。直売店はこうじゃなくっちゃ。ただジャム用の安い梨は売っていなかった。


豊水7つで500円


 再び梨街道をゆっくり走っていると、とある直売店の店頭に一袋500円という表示が見えた。車を停める見てみると、小さめ豊水7個入り。1つ70円ぐらいだ。ところがなぜか店の人がいない。しばらく待ってみたが誰も現れない。結局、料金箱(と思われる)ものに500円玉1個を入れて、持って帰った。無人の店の中を見ると、大半が小さな梨で、加工用に売っている店だったのかも。


4つで1・8キロ


 翌日、早速ジャム作りに取りかかった。4つ分の皮をむき、4つ切りにして芯を取り、さらに幅5ミリぐらいに切った。4つで1・8キロほどある。切れ端を食べてみると、これがすごく美味しい。甘酸っぱくてジューシーで。ジャムにするのがもったいないぐらいだ。

 ボール2つに分け、梨を半々ずつ入れ、レモン1個分の汁をかける。砂糖は30%と書かれたレシピが多いが、甘さからみて25%で十分と判断した。しばらく放置。梨から水分が出て、べちゃべちゃになってくる。ただ、梨は崩れることなく形はしっかりしている。


45分でもあまり煮崩れず


 レシピによっては、梨の半分はすり下ろすと書いてあった。この意味は後で分かるのだが、何もせず鍋に入れて煮始めた。沸騰させた後、弱火にしてことこと。30分もあれば形が崩れてジャムらしくなると思ったが、形は保たれままだ。これじゃ困るなと、木べらでつぶしたりしたが、きりがない。そのうち水分も減り、ちょうどいい分量にになったところで火を止めた。45分ほどかかった。崩れたとはいえ、形はまだ残っている。

 あら熱がとれたところで、煮沸した瓶に詰めた。できた量は瓶1個半、500グラムほど。水分が多いせいか、量はできない感じだ。


人生最高の梨ジャム


 食べたのはそれから約1カ月後だった。産地で何度か梨ジャムを買ったことがあるが、それとは違う感じ。市販のものより甘酸っぱさが少し勝っていて、すっきり感がある仕上がり。正直、これまで食べたどんな梨ジャムよりも美味しかった。ホント、もっと作ればよかった。

2019年10月11日金曜日

がん、最後の少し前まで人生楽しめる 絶望するほどじゃないかな

 今年の夏、知人の2人の男がこの世を去った。ともに私と同じがん患者。もう少し生きたいよなあ、と話し合っていたが、一足先に旅立ってしまった。普段それほどのつきあいはなく、訃報はいきなりだったのでびっくりしたが、2人とも死の3カ月ぐらいまで、体調は特段変わらず、海外旅行に行ったり、小旅行に出かけたりと、生活を満喫していた。

 それから坂道を転げ落ちるように悪化したという。がんが分かったとき、私を含め多くの人が絶望的な気分になる。しかし、がんという病気は、最後を迎えるその日のちょっと前まで、人生を楽しめるものだ、そんなことを強く感じた。


切れない肺がん


 1人は会社の先輩で69歳、肺がん患者だった。私より数カ月遅くがんと宣告されたが、小細胞がんという肺がんの中でも極めて予後が悪いタイプ。がんが散らばってできるため、手術もできず、抗がん剤と放射線だけの治療だった。肺がんでは「切れるがんは治る」と言われることがあるが、彼のがんはその真逆だった。救いは極めて初期で転移もないとレベルだったことだ。

 ただ、闘病中はそれほど深刻さを感じなかった。ときおりメールのやりとりはしていたのだが、こちらが抗がん剤の副作用で治療終了後いつまでたっても体調が悪く、帯状疱疹や風邪の発熱、インフルエンザなど感染症に悩まされていたのに比べ、とても元気そうだった。


抗がん剤治療受けながらシンガポール旅行


 最初の治療で退院した後も、再発をうかがわせる影が見つかったりして、何度か抗がん剤治療を受けていた。それでも、合間を縫って温泉に出かけるなど、リタイア後のごくふつーのサラリーマン生活をおくっていると感じられた。御嶽山に出かけ、呼吸が苦しいので途中までだったとのメールや、シンガポール旅行のメールをもらったのにはびっくりした。がん患者ってこういう動き方ってできるんだって元気づけられた。

昨年7月が最後


 最後に会ったのは昨年7月、私が企画した職場のOB会だった。どちらかというと豊かだった髪は抗がん剤のためになかったが、体全体がふっくらしてとてもがん患者には見えなかった。ヘビースモーカーで大酒豪だったが、いずれもやめていた。

葬儀に100人以上の参列者


 ことし7月、昨年と同じようにOB会を開いたが、彼はお腹の調子が悪くなったといってドタキャンした。葬儀の際に家族に聞いた話では、4月にがんの転移が見つかった。7月になると、腹水がたまり始め、8月初めからはかなり苦しそうで、医師側から手の施しようがないとの宣告を受けていたようだ。

 痛みもあったが、家族と話ができなくなると鎮痛剤使用を断わっていたという。意識がなくなる直前、PCのパスワードを娘に伝え、開いてみると、家族に当てた長文の遺書が見つかったという。優しい彼らしい最後だった。
 葬儀には100人以上の参列者があった。OBになってこれだけの参列者があるのは彼ぐらいのものだろう、そんな声もあった。
 

再発大腸がん、転移も


 もう1人の知人は、大学の同級生だった。昨年何年かぶりにメールすると、すぐに「俺もがんだ。5年前に大腸がんの手術をしたが2年後に再発した。抗がん剤治療を受けているが、腹腔内に転移していて、腹水もたまってる」と返事が来た。

治療前に酒


 へたすると、もう2度と会えないかもしれない、と思い、昨年秋、彼が別邸として過ごしている釧路まで会いに出かけた。彼も髪はなかったが、病人の雰囲気はなく、翌日が抗がん剤治療日だったのに酒を飲んでいた。しかも私と会った2週間後に北海道の海に潜っていた。こちらが結構、初めての釧路でびびりながら出かけているのと対照的だった。


今春、イタリア旅行


 今年3月、メールを出すと、5月の大型連休にはイタリア旅行に行くと返事が来た。「まだそれぐらいの余力はある」との内容だったが、そんなもんだなあとつくづく思った。シンガポールに出かけた先の肺がんの先輩しかり、さらには数年前、肺がんで死んだ会社の知り合いも亡くなる3カ月ぐらい前、オーストラリア旅行に出かけていた。

ネットで死を知る


 8月30日ふと気になってメールを送ったが返事は来なかった。9月2日、先の先輩の突然の死が伝わり、同級生のことは一瞬忘れた。先輩の葬儀後、「死んでても返事送れ」のメールを送ったが返事はない。
 彼は私とは別の会社のOBだが、彼の会社の現職の人に訃報が届いてないか聞こうとしたその日、もしやと思ってグーグルに彼の名前を入れて検索すると、一発で出てきた。8月25日午前5時半に亡くなったことを奥様がツイッターで伝えています、と。

奥さんの針治療で体調維持


 彼はツイッターのフォロワーが1万4000人もいる、結構人気があるらしく、ツイッターやブログでさまざまな意見を発信していた。少しさかのぼって読んでみると、年明けぐらいから、抗がん剤が効かなくなったが、次の抗がん剤は体に合わなかったこと。次第に体力が低下し始め、鍼灸師をしている奥さんに針を打ってもらって体を保ち、イタリア旅行に出かけたものの、体力が弱まり、釧路の別宅を閉めたり、墓を探したり、覚悟の振る舞いをしていたことが分かった。2週間に1回ぐらいは温泉にも出かけていた。

 8月19日までツイッターに投稿しており、ぎりぎりまで生きる意欲はあったんだろうなあと感じた。釧路に行った際、年賀状を出すから住所教えろといっても、俺にはそんな習慣はないとがんとして教えてくれなかった。しつこく聞くと、まるでいずれ死ぬと言ってるみたいだったので、深追いはしなかった。しかし、こうなってくると、連絡のとりようがない。

海外は旅の始まり、旅の終わりではない


 先輩は肺がんが見つかって3年半で逝った。一方同級生は見つかって6年、再発して4年で最後を迎えた。さて、私はがん宣告を受けて丸4年。抗がん剤副作用もようやくおさまり、体力が回復し、海外旅行も可能な体調になってきた。今の状況なら、海外に出かけても最後の旅ではなく、旅の始まりのような感覚かもしれない。そんな状態が続くことを祈るのみだ。
 

2019年10月10日木曜日

灼熱の甲子園 注目試合でなくても長い行列

 最寄り駅が阪神甲子園駅だった四半世紀以上前、夏の甲子園で試合を見たことがある。どこのチームか忘れたが、あまり評価が高くない同士の1回戦第4試合で、簡単にネット裏に入れ、浜風を浴びながらゆったりゲームを見た。そんな軽い気持ちで首都圏からのぞみに飛び乗り甲子園に出かけ、そこで見かけたのは、話題があまりないチームの試合でも入場を待つおびただしい数のファンの姿だった。


スターも不在


 過去の記憶から見ようと思ったのは地元以外が出場する午後3時半からの第4試合。この日は福井の敦賀気比と西東京の國學院久我山。いずれも優勝候補やダークホースに挙がっておらず、星陵の奧川や大船渡の佐々木のようなスターがいるわけでもない。第3試合は地元智弁和歌山が登場し満員となるだろうけど、試合が終わればすくはずと判断した。

阪神パークの跡地にららぽーと


 午後2時半、阪神甲子園駅に着いた。もう何十年も見てないが、ホームの上に大きな屋根があるなど雰囲気が大きく変わっていた。すぐに甲子園に向かわず、球場近くにあるららぽーとに向かうことにした。炎天下の中、帽子がないと危険と思ったからで、到着するとすぐにH&Mを見つけ500円ちょっとの野球帽を買った。おやっと思ったのは、甲子園近くに大型店をつくれるこんな広い敷地ってあったっけ?だった。入り口近くの英語の看板に、かつてレジャー施設があったと書いてある。そうだ、阪神パークがあった場所だ。プールに出かけたことがあるが、少子高齢化の今、もたなくなったんだろうなあ。

高速高架下にたくさんの入場待つ客


 帽子をかぶり、ポカリスエットを持って球場に向かう。好天に恵まれ猛烈な暑さだ(当日37度ぐらいあったようだ)。レフトスタンド下からチケット売り場のネット裏に歩いて見てびっくりした。チケット売り場前いっぱい入場を待つ客があふれかえっており、球場に隣接する阪神高速の高架下から甲子園の駅まで列が続いているのだ。数千人?いや万はいるかな。「第3試合が終わり客の数を見てチケットを販売するかどうか判断」とのアナウンスが流れる。わざわざ来たのに入れないという最悪の事態もあるのかなと不安になる。


外野チケット500円

販売が始まらないまま3時半の試合開始時間が過ぎた。列に並ぶと暑そうなので、風が通る高架下の日陰でアナウンスを待つ。4時前になり、よく聞こえなかったが、チケット販売が決まったらしく、長い列は窓口前に進んだ。客のはけ方は明らかに外野の方が早い。かつてネット裏に入ったことは忘れ、確実には入れなそうな外野席に向かうことにした。チケット売り場に並ぶと、大人500円、子供100円の料金が見えた。子供客が多いなと思ったけど、この安さなら連れてきやすいわ。高架下で待っていると、小学生ぐらいを連れたママやバアバを結構見かけた。この暑さ、関西の人はそれほどつらくないのかな。


空きがあるレフトスタンドへ


 チケットを手に入れると、時計と反対回りに外野側に行き、右中間辺りから入場する。建物内部はもっと古ぼけて汚いイメージだったけど、かなりきれいになっている。スタンドに出ると、レフトスタンドはまだ空いているとのアナウンス。バックスクリーンの前方下通路を越えレフトスタンドに入る。確かにまだ空きがある。

めいっぱいの西日


 階段を上がっていくと、通路から2、3席分空いているベンチがあった。早速席に座り、スコアボードを見ると、3回の裏だった。座ってみてレフト側が空いている理由が分かった。何せ暑いのだ。西日を目いっぱい浴びる。銀傘に覆われた内野側は日陰となり、1塁側も背中から西日を浴びるもののスタンドがある程度、日差しを遮っている。それに対し、レフト側は何も遮るものがなく、真正面から強い日差しが飛んでくる。

スタンドはまるでビーチ


 試合は敦賀気比が圧倒的リードだ。先行敦賀は毎回のようにランナーを出し、3回までに8点。これに対し、國學院は1回に2点取ったものの、反撃は続かない。

 そんな試合だから、あまりグラウンドに興味がわかない。回りを見回すと、男の姿はビーチとは言わないがそれに近い状態。Tシャツというより、ランニング、裸もいる。対して女性陣は老いも若きも1ミリも焼かないという意思が感じられるほど、帽子をかぶり全身を覆っている。

甲子園も「こと消費」


 目の前に座っている男性1人(たぶん30代)に左右に若い女性(たぶん20代前半)のトリオ。ぺちゃくちゃしゃべっているが、いずれも会社の話のようで野球の話は出ない。唐揚げにビール、あるいはハイボールを飲んでいる。確かに美味しそうだが、この環境だと野球を見るというより炎天下のバーベキューみたいだ。


 回が代わって、守備についた際、ライトの守備位置近くにビニール袋が飛んできた。外野手は袋を拾うと、おしりのポケットに突っ込んだ。「あの子、ごみを自分で片付けたよね。こういうさわやかな姿が見られるのは甲子園に来たからだよね」。うーん、そりゃそーだけど。「臨場感あるねえ」と男性。当たり前だろ。よーするに高校野球が好きというより甲子園にいるという「こと消費」が目的に見えた。

外野は遠いよなあ


 プロ野球はネット裏近くでしか見る気はしないが、高校野球も外野で見ると、やっぱ何をやってるか分からない。自分が野球をやっていたときもそうだったなあ。ライトを守っていてあまりにボールが来ないので半分寝ていてセンターの上級生から注意されたことがある。

男子野球部員が踊ってる


 毎回のような得点で盛り上がる3塁側の敦賀気比をふと見てみた。レフトスタンドからはアルプススタンドは案外近い。ひもをたすき掛けした野球ユニフォーム姿の男子高校生が踊ってる。いわゆるダンスとも違うのだが、応援団の応援光景とも違っており、おそらく補欠の選手たちだろう。踊りはとてもこなれており、昨日今日憶えたものではないはずだ。

補欠だからといって


 つまりあの子たちは、遅くとも甲子園出場が決まったときから、踊りを練習しているに違いない。あるいは県大会からか。しかし、敦賀気比のような野球学校では多くの選手が中学の時、スター選手だっただろう。そうした選手がベンチ入りできないからといって、応援踊りの練習?それはちょっとかわいそうではないのか。踊るために野球部に入ったわけではないのだから。その横にまだ小学校低学年ぐらいの男が同じ格好で同じ踊りをしていた。前に座ってるトリオも気づき「かわいいー」

凍ったオレンジジュース


 それにしても、レベルを超えた暑さだ。水分補給が必要と、ビール売り子のおねーさんを呼び止める。凍ったオレンジとカルピスを売っており、オレンジを購入した。内容表示を見ると塩分などが入っており、ポカリなどと同じような飲み物。この冷たさにはかなり助けられた気がする。

7回終わって退散 14対2


 意気上がる敦賀に比べ、國學院はランナーもあまり出ず、静かなままだ。やっと出塁すると、ブラスバンドや応援団が立ち上がり、1塁側アルプススタンドが真っ赤に染まって見えた。ただ、反撃にはならず、逆に敦賀が追加点。試合としての興味はほとんどなくなった。

 7回に敦賀が4点追加し14対2となったところで退散することにした。時間は午後6時を回っているが、西日がまだきつい。回りを見回すともう観客は半分ぐらいか。ネット裏もがらがらになっていた。

翌日の試合待つ客が行列


 暑かったという感想ばかりで、甲子園を出た。球場外側を反時計回りに回って、甲子園駅まで歩いた。すでに翌日の試合を待つ客が行列をつくっていた。徳島鳴門と仙台育英が第1試合だが、そんなに満員になるのかなあ。「お疲れさん」と思いながら、駅に入った。まだ帰る客は少なく、三宮行き電車も混んではいなかった。その後、ネットで試合結果を見ると19対3になっていた。

2019年9月11日水曜日

「火花が落ちてくるかも」頭の上で花火がどーん (長岡花火その3) 

 すっかり暗くなった午後7時半、花火の開始だ。最初はナイアガラ超大型スターマイン。各地の花火大会の終盤にあげられるスターマインがスタートなのは長岡らしい。速射連発花火とも言うらしいけど、すごかったのは、その近さ。目の前の橋を乗り越えて、頭の上でどがんといっているように感じるのだ。「火花が落ちてくるかも」。そう感じることがなんどもあった。


お見事、スターマイン 直江兼続って長岡なのね


 もちろん、実際には危険はない。19時45分ごろ、上がった天地人花火は見事だった。NHK大河ドラマの天地人にあやかった花火だが、主人公の直江兼続は長岡の出。もちろんスターマインだ。色とりどりの花火の輪が重なる光景はすっかり魅入られてしまう。

目玉のフェニックス 横からだと迫力なし


 20時15分頃、長岡の目玉、復興祈願花火フェニックスが上がる。信濃川の流れに沿って1~2キロが花火で埋め尽くされる、というが、長生橋上流からは、よく分からない。橋の下から多少見えるが、やっぱりタテ方向で、迫力も感じない。フェニックスを見たいなら、下流側の無料席に早く出かけて確保するか、チケットを購入するしかないようだ。

三尺玉、こいつはでかい


 続いて滝のように花火が落ちてくるナイアガラ。残念ながら、長生橋の向かう側で高さも低いため、よく見えない。すると、今後は後方、つまり長生橋上流側で正三尺玉。これはでかい。直径650メートルとのアナウンスが聞こえたような気がするが、これだと首都圏じゃなかなか無理だろう。

開始1時間で家路急ぐ客


 ふと花火から目の位置を下げて、橋を見ると、長岡駅に向かう人の流れがどんどん増えているのが分かった。しかも歩くスピードが早い。つまりフェニックス、正三尺玉という目玉を見たら、帰りの新幹線に一目散に向かう人が多いようだ。
 正直、まだ始まって1時間もたたないうちに、目玉の花火を打ち上げるなんて変だと思ったけど、遠くから来た客の帰りの時間を考えてのことのようだった。



中締め過ぎると、空き地が目立つ


 フェニックスによる中締めの後も当然ながら花火は続く。花火の種類はとにかくスターマインが多いというか、それだらけだ。こうなってくると、一発ドーンと上がる花火はまるで気が抜けている感じさえする。スターマインもやがて飽きてきた。ビールで酔っぱらったのか、頭を下げて眠っている姿もちらほら見かけだした。このころから、三々五々撤収が始まった。家族連れを中心に一組また一組と、荷物をまとめて帰って行く。午後9時過ぎスターマインと尺玉100連発が上がるころには、長生橋までの間に人はほとんどいなくなった。名残惜しさも感じながら、こちらも撤収だ。

ドラッグストアに向かう


 来るのに通ってきた土手沿いの道を戻っていく。駐車場までのシャトルバスは来たときと同じドラックストアで待っている。たくさんの人が荷物を抱えながらぞろぞろと歩いて行く。後方では学生や若手による小さな花火が上がっている。そしてフィナーレ。観客がスマホをかざすパフォーマンスが行われいるようだったが、遠くてよく見えなかった。

シャトルバス、待ち時間は1時間以上


 ドラッグストア前には何百人もの花火客が待っていた。バスはひっきりなしにやってくるがなんせ道が狭く、客を積んではどんどん出発というわけにはいかない。乗る際の誘導もアルバイト風でイマイチテキパキしていない。なぜか観光バスと路線バスがまじってやってきており、周囲からは観光バスがいいなという声がしきりだ。午後10時をすぎてようやくバスに乗れた。待ち時間は1時間以上だ。気温は下がっておらず、暑いままで立ちっぱなし。熱中症が不安になってくる。


駐車場出たのは11時、大イベントは体力必須


 バスは暗く狭い道をゆっくりと越後丘陵公園へと向かっていく。駐車場に着いてようやく車に乗り込んだのは午後11時過ぎ。心配していた市内の渋滞はなく、関越道の長岡インターには問題なく入れた。しかし途中PA休憩を含めて、宿泊地の新潟市に着いたのは午前0時半ごろだった。エアコンのない猛暑の中で午後6時ぐらいから4時間を過ごし、終わっても出発できるまでに約2時間。相当体力が必要な大イベントだったとあらためて思う。

2019年9月10日火曜日

長生橋上流は無料スペース(長岡花火その2)

 国営越後丘陵公園からの長岡花火大会シャトルバスが到着したのは、信濃川の左岸の土手近くだった。花火客は三々五々土手へと向かっていく。東京でのイベント時のように人が密集して前に進めないというわけではない。土手を上がると、前方に橋が見える。長生橋だ。地図を見ると、長生橋の下流側が有料会場になっているが、今、上がってきた土手の通路沿いにはたくさんの人がレジャーシートを敷いて座っている。


長生橋上流はみんな無料


 案内の人に聞くと、こちら側は全部、無料、早い者順という。花火は見えますかと聞くと、長生橋の上流側は三尺玉が上がるので、こちらを見る人が多い。スーパーフェニックスは川沿いに広がるのでタテにしか見えず、迫力ある姿は無理だという。それならと長生橋のたもとから下流側に行こうとしたが、係の人から、チケットがない人は入れないと言われた。無料席もあったはずだが、満員とのこと。やっぱイベントはお金だなあ。

河川敷で花火鑑賞



 再び上流側土手に戻って、今度は河川敷に降りる。ここで聞くと、この一帯はすべて無料。時間も迫ってきており、河川敷での花火鑑賞を決めた。目の前は長生橋。かなり邪魔だが花火はもっと高く打ち上がるので、大半は見られるだろう、と判断した。地面一帯は草が生えており、レジャーシートさえ敷けば改易に過ごせそうだ。
 周囲は大半が地元客に見える。すごく身軽な感じ。それと首都圏の花火大会に比べるとかなりゆったりしている。ビニールシートを敷いても、周囲とはほとんど重ならないぐらい離れているのだ。

2019年9月9日月曜日

長岡花火に行ってきた 体力は必須

 日本三大花火の一つ、長岡まつり大花火大会に出かけてきた。例年、2日間に108万人もの見物客が訪れるだけに、渋滞や混雑はおおむね想定内だったが、この種のイベントに参加するのは相当の体力が前提になるんだなあとあらためて思った。ちなみに今回は首都圏発でマイカーを利用して1泊2日、新潟で泊まるという日程だった。


サービスエリア、女性トイレが大混雑


 8月2日、渋滞だらけの東京都内を抜け出し、練馬インターからやっと関越道に乗ったとき、スタートして2時間以上がすぎていた。それでも長岡までなら夕方までには到着できると休憩を取りながらのんびりと進んだ。長岡に近づくにつれて、「トイレ混雑」との看板が目立つ。長岡インターチェンジ手前の越後川口サービスエリアに停まったとき、意味が分かった。女子トイレが長蛇の列。観光バスが到着すると、どどっとトイレに向かっていく。臨時トイレさえ、長い列ができていた。

パーク&レールライドといっても駐車場満杯


 ネットで調べると長岡ICは混雑するので利用するなという声が圧倒的。ひとつ手前の長岡スマートICで降りる。渋滞回避マップには、近くにJR来迎寺という駅があり、無料駐車場も用意されているため、パーク&レールライドが可能と書かれていた。しかし、無料駐車場は満車、係の人に聞くと14時から満車になっているという。
 時間は5時。まだ、打ち上げ開始の19時半まで時間はあるが、ほかにあてがあるわけもなく焦る。係の人は「丘陵公園」ならと教えてくれた。シャトルバスも出ているとのこと。

越後丘陵公園に


 しかし、丘陵公園っていったいどこだ。ふと思い出したのは前日、東京表参道の新潟県アンテナショップ 新潟館ネスパスで「駐車場でこういう場所もあるんです」と渡された国営越後丘陵公園パンフだった。「丘陵公園」ってこのことかと分かったが「さて、どっちへ行く」と車を走らせたら、すぐに行き先案内の看板が見えた。
 あまり親切とは言えない看板で、最初は全く別の場所に行きUターンというありさま。時間は刻々と迫ってきている。ようやく、大駐車場がある公園が見えてきた。すれちがうシャトルバスにはたくさんの花火客が乗ってる。

ようやく駐車、シャトルバスで現地へ


 料金2000円を払って車を停める。田舎の駐車料金としてはかなり高い。シャトルバス代?それでもちょっとぼったくり気味かな。6時は過ぎ、かなり迫った時間だが、まだまだ余裕はありそうだ。ただ、会場からどれくらい離れているのか、土地勘がないので全く分からない。氷で冷やした冷たいタオルや飲み物の入った保冷バッグ、レジャーシートを持ってシャトルバスに乗り込む。折りたたみ椅子もあっただが、後ろから文句が出そうなのでやめた。

田んぼそばでレジャーシート


 バスは狭い道をぐるぐる回りながら会場へと向かっていく。途中、田んぼのそばの歩道にレジャーシートや椅子を置いている家族連れを見つけた。わざわざ河川敷に行かなくても、見えるのかしら?

会場着は開始ギリギリ


 シャトルバスは20分ほど走り、午後7時前、広い駐車場があるドラッグストア前に着いた。周囲にはこちらぐらいしか店舗は見当たらず、露店も出ていない。最低限の食べ物が必要とほとんど残っていない食べ物からおにぎり1個を買った。マイカーの国営越後丘陵公園→シャトルバス組は越後川口SAなどで食べ物購入が必要だ。
 長岡には午後5時ごろに着いたものの結局、会場着は7時過ぎ。大イベント、やっぱり時間的余裕は絶対必要だとあらためて思った。

2019年9月7日土曜日

ど迫力、神輿を見るなら狭い通りで

へばりついて神輿を待つ


 遠くの方で神輿の音が聞こえている。四条通を練り歩いているのか。狭い花見小路はホコ天となっており、中央には神輿の先導の一段がすでに入ってきていた。武家の衣装を着た男性が乗った馬が目の前にいる。どこか機嫌が悪そうで「ひひーん」とか言っている。馬が暴れると怖いので心の中で「早く行ってよ」とつぶやく。見物客は道路沿いにへばりつくように待っている。


お茶屋さん前で神輿


 たまたまだが、立っていた場所は「広島屋」というお茶屋さんだった。明るい水色の着物を着た女性が立っている。ついに神輿がやっていた。「ほいっと、ほいっと」とかけ声。広い道路で見たときはそれほどに感じなかったが、花見小路では道路いっぱいが男衆で埋まっている。このお茶屋さんで差し上げをするのが慣例らしく、目の前で何度も何度も神輿が舞い上がる。「何だかすごいところに来ちゃった」。


休憩タイム、お茶手渡し


 担ぎ手の男衆が目の前すぐを通っていく。神輿だって手を伸ばせば届きそうな距離にある。まごまごしていると巻き込まれそうで、塀ギリギリまでへばりついた。何度か神輿が舞った後、なんと休憩タイムが始まった。お茶を出すのは、広島屋の女性たち。かなり高齢のおかみさん(?)、その娘ぐらいの年齢のおかみさん(?)、さらにその娘さんぐらいのおねーさんらが男衆に麦茶を配っている。それも、目の前30センチぐらいの距離をコップが行き来する。ちょっとでも手がすべれば、こちらにかかりそう。


路地に飲食店


 神輿はすぐにスタートかと思ったが、案外休憩時間が長い。すでに夕暮れだったが、熱気を帯びた男衆の体温で、狭い花見小路は空気が一段と暑くなってきた。そろそろ終わりかと、広島屋前を抜け出すことにした。男衆の間を通り抜けていくのだが、これもちょっ度胸がいる。ぶつかったら怒られそうだし。慎重に体を動かし、交差する路地に入った。

 ちょうど夕食時だったが、お茶屋さんを改造したような飲食店が結構あった。いずれも1人で万札ぐらいはいきそうなちょっとお高めの店ばかり。ただし、一見さんお断りの雰囲気ではなかった。ちょっともったいないかなとパス。

おみやげはちまき


 四条通に出ると、地下鉄に向かった。途中、神輿が安置される御旅所でちまきを売っていた。ちまきと言えば、食べ物、このくそ暑い時期に何で売ってるんだろうと思いながら買った。笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りとは、自宅に戻って「食べ方」を調べるまで分からなかった。大病を患った身としてはちょうどよかった。

次は宵山かなあ


 午後8時すぎ、上りののぞみに乗った。全身、汗でべたべた。新幹線は特に混んでいるわけではなかった。祇園祭の山鉾巡行はこれでいいかな。宵山は見てみたい気もするけど。

2019年8月28日水曜日

成功レシピは参考にしなくっちゃ うろおぼえじゃ美味しい物できず

 やっぱレシピは大事だ。それも自分が経験したことはきっちり記しておくこと。テキトーな記憶でつくったらろくでもないものができる。そんな悲しい料理を作ってしまった。今年も挑戦した桃ジャム。過去2年に比べ妙に甘く香りも欠けている。昨年書いたブログを一読しておけば防げたトラブルだった。


桃1750グラムで桃ジャム


 一昨年6個分、昨年9個分、今年は10個 、それも大きめの桃でチャレンジした。皮をむき、種を取った段階で1750グラム。昨年の1・5倍だ。この次の手順で根本的なミスを犯してしまった。2センチ角が最適なのに8分の1ぐらいにしたところで、小さく切るのをやめてしまったのだ。量が多すぎて面倒になったのか、そのときの心理はよく分からない。


砂糖も多すぎた


 砂糖の分量も間違えた。一般のレシピには30~50%とある。そこでてきとーにグラニュー糖を700グラム弱を入れてしまった。40%というのはある意味、適正に見えるが、昨年までの経験だと30%ちょっとで十分。それもブログに書いていた。

大きく切りすぎ、なかなか煮えず

 実際に桃を煮始めると、切った桃が大きすぎるのかなかなか煮えてくれない。10分、20分、30分と時間が過ぎていく。しびれを切らして、中をかき混ぜたり、へらで実をつぶしたりした。量の違いがあるとはいえ、昨年は沸騰するとあっという間にドロドロになった記憶がある。途中、なめてみると、少し甘すぎる。こればかりは後に戻れない。


かき混ぜて、香り飛ぶ


 結局、これでいいかなと判断したのは煮始めて約50分。結構、実が大きいままのジャムになった。ちょっと甘過ぎ。問題は香りがほとんど飛んでしまったことだ。レシピを読むと、あまりかき混ぜないように書いてあった。昨年と同様、2センチ角に切り、砂糖の分量も確かめておけばよかったのに。
 トータルで瓶にして5つ。去年の1・5倍もなく、2割増しぐらいの感じだった。

はねだしの方が甘かった


 ところでなかなか梅雨が明けず7月中、ずっとじめじめした天気が続いたせいか、桃は少々、異変があったみたいだ。というのも、道の駅甲斐大和で昨年同様、購入した「はねだし桃」は妙に甘くて、ジャムにするのがもったいない感じがした。
 これに対し、毎年、桃を購入しているフルーツ農園で1個500円もした桃はちっとも甘くなかった。この農園は少し傷んだ桃を1個100円で売っていた。今までそんな売り方はしたことはないとのことだが、ひょうや悪天候で影響を受けたそうだ。

ジャムのアクで桃シロップ


 ジャム作りの副産物があった。桃ジャムを煮ていると、かなりのアクが出るので、こまめに取り除く必要がある。すると、今回の場合、コップ1個分が出た。アクは上の方に沈殿し、残りは甘ーい桃シロップになった。もったいないと思って、プレーンヨーグルトに振りかけて食べた。これも結構、美味だった。
 

2019年8月6日火曜日

見るなら祇園、神幸祭り

 四条通と河原町通りの交差点で、山鉾巡行のラスト を見ると、しばし休憩タイムに入った。何せ暑い。このままじゃ熱中症。しばし、マルイに入り、トイレにいったりして涼む。再び外に出ると、四条通のホコ天は解除され、車の通行が始まっていた。町の真ん中、そう簡単には通行ストップというわけにはいかないでしょうなあ。

 そこで、山鉾巡行と並ぶ、一大イベントである夕方の神幸祭 神輿渡御を待つことにしたのだが、実はこちらこそが自分にとってはハイライトだった。何せ金色に輝くお神輿が触れそうなほど近く、神輿を担ぐ男衆の巻き込まれそうになりながら、見ることができたのだから。


八坂神社、舞殿取り巻く外国人観光客


 といっても、どこかのサイトで午後4時頃から始まるとの説明を信じたためにちょっとしんどい目に遭った。八坂神社に行ってみると、神輿が置かれた舞殿の周囲はたくさんの人で囲まれている。立っていると、徐々に担ぎ手の男衆が集まってくるのだが、本殿でお祓いでも受けているのか、特に動きはない。暑い日差し、ちょっといらいら。周囲から聞こえてくるのは中国語、アジア系のどこかの言葉。日本語はほとんど聞こえない。


遅れ違うはず


 だけど、彼らは見ていて面白いというか分かるのかしら。30分、1時間、関西弁を話していた少し高齢のご夫婦、奥さんの方が「何やってるのかしら」と不満そう。しかし、それって儀式の順番が決まってることだから、まさか遅れではあるまい。

 5時過ぎ、ようやく神輿の出発準備が始まった。担ぎようか、太い垂木が運ばれてくる。10メートル、いやそれ以上ありそうだ。そして、ようやく最初の神輿がスタート。舞殿の回りを3回回って南門から出て行った。二つ目の神輿が出たところで、人混みから抜け出した。暑くてもういたくはない。

祇園石段、早朝から席取り


 四条通の突き当たる八坂神社の祇園石段はたくさんの人が座っており、2列ぐらいしか通行路がなくなっている。スタート時の出発式である、勇壮な「差し上げ」見物客で早朝から座ってる人もいるとか。夕日を真正面から浴びるためかなりの暑さに思われるけど、大丈夫かしら。

午後6時、御神輿がお出まし


 こちらは道路を渡って祇園側に向かうが、石段を中心に角という角が人で埋まっており、神輿がやってくるのをまだかまだかと待ち構えている。6時過ぎ、神輿がやってきた。子供神輿を含め計4基。担ぎ手男衆は一つの神輿で1000人単位という(そんなには多くないと思うけど)。これだけの人間が集まるとさすがに迫力がある。勇壮な「差し上げ」。ちょっとわくわくする。し


 かし、立ち見してると右隣も左隣も外国のお方。なーんか違和感があるなあ。たとえば日本人が海外旅行に出かけて、当地の祭りをずっと見物したりしないと思うけど。祭ってその地域のもの、って感じがする。といっても、首都圏から見に行っているんだから、外国人みたいなものか。

 京都市長や府知事の挨拶(選挙前、いらんわこれ)が終わると、神輿が次々に出発していった。さて、祇園祭もこれで終わりと地下鉄の駅に向かう途中、最後にお楽しみが待っていた。


 神輿を見ようと四条通がごった返していたので一つ南側の筋を駅に向かっていた。祇園の花見小路にさしかかったところ、通行を止められた。「すぐに神輿が入ってきます」のでとおまわりさん。「へえーこんな狭い場所に神輿が来るのかあ」と実際にやってくるのを待つことにした。


2019年8月1日木曜日

祇園祭はやっぱり灼熱 首都圏から日帰りで見物

 京都の祇園祭。人生で一度ぐらい見てもいいなと思ってた。でも、梅雨末期か明けているこの時期、ただでさえ暑い京都は35度、6度になるのも珍しくなく、熱中症の心配で二の足を踏んでいた。梅雨明けが遅そうな今年、祇園祭のハイライト山鉾巡行のある7月17日については、その4,5日前の天気予報では30度を切っており、今年こそチャンスと出かけることにした。だが、天候は予想外に急回復、いつものような灼熱の山鉾巡行になった。それと、話し声は外国語が日本語を圧倒するという、すごいことにもなっていた。


午前9時前京都着、地下鉄で四条通へ


 山鉾巡行のスタートは午前9時半ごろとネットで知り、ぎりぎり間に合いそうな新横浜午前7時2分発のぞみに乗車、午前9時前に京都駅に着いた。すぐに地下鉄に乗り換え四条駅に向かう。先頭を進む長刀鉾は東西に走る四条通りにいるはずだ。

沿道人混み、前へ進めず


 地上に出ると、日差しはないものの、どんより曇っているわけでもない。おそらく30度近くまで上がってる。目の前を比較的小型の山鉾がいた。さらに東側の八坂神社よりに長刀鉾と見られる山鉾がいたが、沿道の人混みでなかなか前に進むことができない。よく分からないのだが。聞こえる音はコンコンチキチキ、コンチキチンとはちょっと違う感じ。

後方から注連縄切り


 四条通を避け、南に下って迂回して戻ると、目の前に長刀鉾の後ろ姿。その瞬間、長い紐状のものが宙を舞っていた。見物客から「おお」という声が上がる。お稚児さんによる注連縄切りが行われたようだ。注連縄がはられた辺りから東側は八坂神社の神域とされ、そこへ山鉾が入っていくための重要な行事とか。


長刀鉾の辻廻し


 長刀鉾の進行に合わせて、四条通と河原町通の交差場所に向かう。巨大な山鉾が90度回転する「辻廻し」が行われる山鉾巡行一番の見所だ。。カメラの望遠レンズでお稚児さんの顔を見る。真っ白に塗られた顔。当然ながら、男の子だろう。


準備にたっぷり、回転は一瞬


 マルイの前のほか、四つ角のそれぞれ人でごった返している。動画や写真を撮ろうと思うのだが、自撮り棒がむくむく上がってきて邪魔なこと。それに人いきれも加わって暑い。しばらく暑さから逃れようとマルイの入り口を見たら、開店は10時半。まだしばらく時間がある。

 よく見えないまま、長刀鉾を見てると、オオオと歓声。45度ぐらい回転した。車輪の方でごそごそやっているみたいだけど、何にも見えない。しばらく見ていると、回転させる直前、山鉾の前に乗っている人が、扇子を開いてあおっている姿が見えた。そうか、彼らの動きを見ていれば、次のことが予想できるのか。再びオオオの声で、90度まで進んだ。四条通の西行きを見ると、何台もの山鉾が順番を待っている姿が見えた。辻廻しにかなりの時間を要するため、進むことができないのだ。

それにしても暑い


 暑さに耐えきれなくなったため、四条通を抜け出し、木屋町を北上して四条通から2本北側の御池通での辻廻しを見ることにした。こちらも風がなく暑い。夜の歓楽街で何度も来ているが昼の風景はまた別。店は大半が閉まっている。通りのあちこちに、暑さや疲れで座り込んでいる人たちを見かける。大半が外国人観光客だ。この暑さだし。

御池通でも辻廻し


 歩く途中、高瀬川沿いの土佐藩屋敷跡などの看板を見ながら、御池通に到着する。長刀鉾をはじめ山鉾は四条通から河原町通りを北上、御池通で交差する場所で辻廻しをする。道路幅も広く、通り沿いにある京都市役所前には有料観覧席もある。

 だが日差しが強くなってきて、日向にいるとジリジリする暑さだ。交差点に着いたとき、ちょうど、長刀鉾が辻廻しする場面。交差点の四隅がごった返している。

待ち時間が多い山鉾巡行


 もういいかとあきらめて、河原町通りを北上してくる後続の山鉾を見ることにした。それにしてもゆったりしたものだ。辻廻しがあるため、いずれの山鉾もスピードを出すことができないし、何度も立ち止まっている。かつて博多祇園山笠を見たことがあるが、「タイムを競う」(これもどうかと思うけど)ために猛烈なスピードで駆け抜けていく姿には驚いたもんだ。その点、祇園祭はしゃなりしゃなりだ。中間辺りで見かけた山鉾。お囃子は例のコンコンチキチキ、コンチキシンだった。

 暑さに辛抱できず河原町通り沿いカフェに入った。外では多くの人が巡行を見ている。のんびりした流れ、まあいいやと思った。再びマルイ前に戻る。舟形をした大きな山鉾が直角に曲がるところだった。パンフを見ると、ラストの船鉾だった。


2019年7月28日日曜日

タープ、何とか立っている、でも狭い

 真夏は海水浴客で賑わう三浦半島のビーチそばの駐車場。100均が中心のカーサイドタープの組み立て実験をした。海はやっぱり風が強い。シートを広げるだけで飛びそうになる。そこでまず車の向きを変えた。北風が吹いていたので、南側にタープが広げられるようにした。
 約30分後、一応、できあがった。風で吹き飛ばされそうだが何とかもっている。問題は店員が言った通り「狭い」ことだった。


天井の長さ足りず


 シートは180×180の大きさ。車の天井に取り付けた吸盤に取り付けようとしたが、わがSUVは天井部が170センチもなかった。これではたるんでしまう。仕方ないからハッチバックの窓に吸盤を取り付けた。実験なのでハッチバックを開閉しないのでそのままにしておく。

ポール立て、結構、怖い


 ハトメと吸盤をつないだシートを広げて大体のポールの位置を決めペグを打つ。すぐに入るかと思ったら、途中土の中に石があったらしく1本先が曲がってしまった。
 次はポールを立てて、吸盤とは反対側のハトメにポールの先端を入れる。先からもやい結びのロープをかけ、ペグへと引っ張る。この作業が案外怖い。何かの都合でポールが倒れたら、先端部で車をガリッとやってしまう可能性があるからだ。



ストッパー、100均でも十分機能


 慎重に1本目、さらに2本目をロープでペグにつなぐ。ここで100均のストッパーはすごく役立った。取り付けたおかげで長さの調整がいくらでもできたからだ。


2人は座れないみたい


 ここまででおおむね30分ほど。風が強くよたよたしているが、何とか立っている。そこで、ヘリノックスのチェアを組み立てて座ってみた。「狭い」。当日、日差しはなかったが、ちょっとでも斜めから入ってきたら、日よけ効果はお手上げだ。

 ソロキャンプなら、小さなテーブルぐらいは置けるだろう。2人座るのはまず無理。これって、どう使えばいいのか、というのが正直な感想だ。

ポールのロープは2方向で


 もっと怖いの風だ。一度、強い風ですべてが外れた。とっさにポールをつかんだが、下手すればガリッといった恐れもあった。
 先日の店員さんは「ポールのロープは2方向で」と言っていたがまったくその通りだった。次回は180×270のシートを立ててみるつもりだが、あまり自信はない。

河川敷のお住まい


 ところで、できあがったタープを見て、もう一点困ったことを感じた。どこか多摩川の河川敷でお暮らしの皆さんと重なる物を感じたのだ。とすると、ちょっと恥ずかしいかな。
 

2019年7月27日土曜日

100均でカーサイドタープ手作り

 先日、ソロキャンプのまねごとをした際、ワゴン車に直接タープをくっつけている人たちを見て、とても便利そうに見えた。ただ、実際に購入するとなると、最低でも1万円、2、3万円はざらで高いなと思った。そんなとき、ネットで100均でつくれるカーサイドタープという動画を見つけた。それなら、どう考えても大した経費はかからない、と思って挑戦してみることにした。結果はまた後で。


天井はちょっと高め


 まず材料集めだ。構造を簡単にいうと、車の屋根側に2カ所、天井を引っかける物を取り付け、ポール2本を立てて、計4カ所で天井を支えるという仕組み。当然ながら天井はブルーシート的なものを使う。
 100均で買い集めたのは、屋根に取り付ける吸盤、キャンプ用ロープ(12メートル)、自在金具ともいわれるキャンプ用のストッパー、それにペグ合わせて400円だ。ポールはつっかい棒を使う。こちらは最大長さ190センチで1本200円、2本400円。

天井は500円


 ブルーシートを見たのだが、かなり薄くて弱々しい。ひもなどで固定するためのハトメもついていなかった。そこで100均の商品は見送り、ホームセンターでハトメつきのシートを探すことにした。
 1・8メートル四方なら498円とかという値段で売っていた。試しなので1・8メートル×2・7メートルというちょっと広めのタイプも購入した。

ポールの先端部を手作り


 つっかい棒は端が直径2センチ近くあり、そのままではハトメには入らない。通常のキャンプ用ポールは端がボルトのようになっている。どうやるのかと、動画を見ると、プラスチックの端っこのキャップを引っこ抜き、穴を開けてボルトを突っ込んでいた。
 ドリルがない場合は、くぎを焼いてキャップを溶かして穴を開ける、というやり方が示されていた。実はこのとき、失敗していた。何もしなくてもハトメに入ると思っており、入らないのは太すぎるせいだと、棒の端っこをたたいてつぶそうとしたのだ。結局、動画を見直して、やり方が分かった。頭がつぶれた最初の1本はおしゃかになった。


結局、ポールは2本で2000円


 だが、作っていて、こんなつっかい棒でポールが代替できるんかいなと不安になってきて。そこで、アウトドアショップを回り、ポールを見てみた。結構、高い。1本5000円、1万円ってのまである。ところが、ふと手に取ったポールは2本1944円だった。いくら何でも安すぎると店員に聞くと「最長で180センチと短いし、長さ調節もきかないから」という。周囲を見回すと、タープというのは確かに天井が高くなっている。


プロからは「狭いかも」


 といっても、車高157センチのわがSUVに合わせるのでそれは仕方ないと感じた。ついで自作、しかも100均で作るカーサイドタープの話をすると、できないことはないけど、ちょっと狭いかなと気になることを言う。「市販のカーサイドタープを買った連中もどんどんやめました。今は車ごとはいるぐらいのでっかいタープをたて、車を突っ込んじゃうのがはやり」「タープを立てること自体、風とかの影響もあって難しい」とか。」
もやい結びを習得

 とにかくこのポールは買うことにした。つっかい棒3本が無駄になるけど。
 材料がそろったところで、今度は結び方の研究だ。ほどけてしまったら意味ないし、強く結ぶととけなくなってしまう。思い出したのが引っ張れば引っ張るほど強くなる「もやい結び」。ネットで何度も確認し、30分ほど練習すると、3回に2回は成功するようになった。12メートルロープを4分割し、うち2本のポールに取り付ける側にもやい結びの輪を作った。
 これでスタンバイ、次は組み立てだ。
 

2019年7月20日土曜日

行くぞ6合目 案外、簡単に登れた

 富士山の富士宮登山口は車で行ける高さとしては国内最高なのだそうだ。とすればもうちょっと高いところに行ってみたい。そんな気分が高まってきた。ホント不思議なことに、胸の息苦しさは完全に消えていた。普段、ウォーキングで100段ぐらいは平気で登っている。ここは6合目に「いざ行かん」。


半日で頂上往復なんて


 登山口の階段を登ると、降りてきた富士山の登山客と観光客が話している。「今朝2時に長野から来て、少し仮眠した後、頂上まで行った後降りてきた」。時刻は午後1時半。半日で往復するのかあと、少しびっくり。ただ冷静に考えると、5合目2500メートルから頂上の3776メートルまで約1250メートル。往復できない高さではない。頂上の空気の薄さ、気温の問題を除けば。
 すると、小さなリュック1つだけの中年女性が降りてきた。「富士山は初めてなんですよ」とはいうけど、まったく疲れなど見えない。

500メートル1時間


 そういえば、学生のころ、初日の出を見るために宮島の弥山535メートルを下から登ったことがある。懐中電灯も持たず。おそらく1時間ほどで、しかも少し酔っぱらっていた。あの体力なら富士山なら3時間ほどか。なーんてつまらぬことを考えながら、6合目に向けて登り始めた。

ゴツゴツ登山道、歩きにくい


 一応整備されてはいるが、結構な急坂だ。薄い空気と、当日、ドライブ用の軽めのスニーカーを履いていたせいか、ゴツゴツした道は結構歩きにくい。5分ぐらい歩くたびに休憩。15分も歩くと、坂の向こうに見えないところがある。降りてきた人に6合目は?と聞くと、あの坂の先、ちょっと行けばと教えてくれた。


10分オーバーの30分で到着


 今まで同じペースでゆっくり歩く。5合目から約30分、6合目に到着した。10分オーバーだ。当日はお休みだったが山小屋があり、ベンチが並んでいた。遠く、宝永山が見え、多くの人が歩いていた。6合目からだとほとんど登り坂にはなっておらず、あれなら行けそうだ。さすがにこの日は自重したけど。

宝永山、行けそうだ


 一面の雲海を見て、息を整えるとさっさと降りることにした。半ズボン、Tシャツの軽装だし、水分も持っていない。変わりやすい山の気候を考えると、長居は無用だ。さすがに10分ほどで降りることができた。


雲海見ながらランチ


 お腹もすいてきたし、レストハウスでカレーうどんを食べた。窓一面に広がる雲海。こんな光景の中でランチができるなんてことはまずない。単に富士山5合目まで行ってみたいというだけのドライブだったが、楽しい経験ができた。富士山頂はどう考えても無理だろうけど、宝永山は行くぞー。


2019年7月15日月曜日

マイカーで2400メートル 富士山富士宮登山口ドライブ

 例年7月10日にマイカー規制で入れなくなる富士山5合目。梅雨の晴れ間を利用して、今まで行ったことがない富士宮登山口まで行ってみた。吉田、須走両登山口に次いで3つめだ。予想より寒くなく、眼下に広がる雲海をたっぷり見ることができた。


快調、富士山スカイライン


 東名御殿場インターで降り、約30分ほどで富士山スカイラインに入った。道路の左右が鬱蒼とした森林。平日だけに行き交う車もなく、快調なドライブが続き、あっという間に1600メートルの標識を通り過ぎた。時に山道で後ろからあおる鬱陶しいドライバーがいるが、今回はとてものんびり走れた。


6月下旬、まだウグイスの鳴き声


 1600メートルを超えると、視界が開けたところからは雲海が見える。下界は全く見えないけど、雲海だけで十分堪能できる。この辺りになると、まだ若葉。ホーホケキョとウグイスが鳴く。まだ春先みたいだ。車の温度計は18度を指している(市街地はこの日、最高気温が28度ぐらいだった)

平日でもレストハウス近くは満杯


 ほどなく5合目駐車場に到着した。道路沿いが駐車場になっており、レストハウス近くになると、ほとんど埋まっていた。もちろん斜面になっており、下の方に停めると登ってくるのは大変そう。健脚な富士山登山客にはあまり関係ないだろうが、5合目をうろちょろするだけの軟弱観光客にとってはちょっと気になる。幸いレストハウスのすぐ裏側に停められた。

何だか息苦しい


 そこでちょっとアクシデント。何となく胸苦しいのだ。さすがに空気は薄いだろうけど、そのことは感じない。折りたたみのウインドブレーカーも着たが、じゃっかん暑い。理由が分からないので、不安になり余計胸苦しくなる。レストハウスで土産物を見るのも鬱陶しく、さっさと帰りたいという気分が強まってきた。

6合目まで行けそうだ


 ところが、5分、10分とすごすうちに何となく胸苦しさが治まってきた。それまであまり余裕がなくて見てなかったが、軽装で登山道を上っていく人が結構いる。掲示板の地図を見ると、6合目まで登り20分、下り10分との表記。さらには宝永山まで往復1時間とも書かれていた。レストハウスだけで帰るなんて、ちょっともったいないなあ。