「彼女の人生は間違いじゃない」という映画を見た。東日本大震災と東京電力福島原発事故により、家族と生活を失い仮設住宅で暮らす父娘の物語。娘は市役所の職員をする一方で週末には高速バスで東京に出かけデリヘル嬢。農業を営む父親は耕作地を事実上失い、補償金をパチンコで消費する毎日。なんとも救いのないストーリーだった。どうやっても明るい現実、明るいラストに導きようがないことを分かりながら、ドキュメンタリー風に淡々と話は進んでいく。そしてこの種の映画は評価されるんだろうなと思ったら、キネマ旬報2017年ベスト10で7位だった。気分は分かるけど、やっぱ違うよなあ。
事実かも知れないけど、デリヘル嬢というのは
この種の出口がない状況下での女性の描かれ方として、何かの隙間を埋めるべく風俗に走るというのは実際、どうなんだろう。何か安易過ぎはしないか。女性がデリヘル嬢になったり、男がパチンコに走るというのはたぶん、現実でも起きているかもしれない。しかし、福島の現実は過去ではなく、今、進行している最中。「ヒロシマ」の原爆被害のように「フクシマ」とカタカナ書きでと表現することさえ難しい今、そんな取り上げ方は福島の人々を傷つけることになってしまわないか、不幸の描き方はいくらでもあるのではないかと感じてしまう。
なんだかよく分からないシーン
そうしたことと関係するのか分からないが、よく分からないシーンがある。ヒロインの金沢みゆき(瀧内公美)は客に呼ばれ性的なサービス(フェラチオ)をする際、服を着たままで、セックスを迫る客に暴力をふるわれそうになる。ところが、別の客を相手にした際は全裸となり、自ら男にまたがり、腰を振るシーンが出てくる。よがり声さえあげているように描かれている。次のシーンでは風呂に一人でつかり、おぼれようとするみたいに頭まで水没させてしまう。
これはどういう意味なのか。客の暴力を恐れ、いわゆる風俗嬢のならいとしてセックスをしたのか、それとも、自暴自棄となってセックスを楽しむようになってしまったのか。あるいは素股というセックスもどきの行為だったのか。中途半端なまま、ストーリーは進行していく。監督が書いた原作の小説を読めということなのか。
出口がない
パチンコ漬けの父親はおそらく収穫しても商品にはならない畑に耕耘機をかけ始める。さらに柄本時生が演じる市の職員は、スナックに勤める女子大生に震災のことを聞かれても何も答えられない。広報広聴課という震災の状況を広める立場にありながら、いまだに何も語れずにいる。とにかく出口がない。
物質的にはとても豊か
不思議なことに、彼らはいずれも物質的にはどこか豊かだ。きれいな仮設住宅。置かれている家電はみんな新品。出来合いか、作ったのか分からないが、毎回の食事のおかずはとても品数が多い。地方都市では当たり前だが、みんな車を持っている。それなのにどこか満たされていない毎日。何をどうしてほしいのか、という気持ちにもなった。冷たいようだけど。
ヒロインの瀧内公美
ところで、瀧内久美という女優は、大胆なシーンも厭わないことが売りの女優さんのようだ。決して豊満とはいえないスレンダーなボディだが、今時の日本映画の中ではかなり露出が多いように見える。映画というのはテレビとは違う世界。いわゆるオーラをあまり感じないタイプだけに、こういう生き方もアリなんだろうなと思う。
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