照明は暗め、表参道の太田記念美術館
富嶽三十六景を見たのは、浮世絵が中心の東京・表参道にある太田記念美術館。人通りの多い表参道から少し入った2階建てのこぢんまりした美術館だ。小さな受付で料金を払うと、すぐに展示室。まず四角い部屋の2辺に富嶽三十六景十数枚が展示されている。2階に上がると4辺に残りの作品と比較のための作品が並んでいる。照明は結構、暗い。化学的な塗料が日本に入ってくる前の塗料は光に弱く絵を劣化させてしまうためだそうだ。
土日は大変だったかも
小さなそれぞれの作品をよく見ようとすると、正面に立って目をこらす必要がある。作品横の説明文を読みながらなので、1分ぐらいはかかってしまう。その間、他の人は正面から見ることができない。欧州の絵画ならサイズも大きく、人が鈴なりになって鑑賞できるが、浮世絵はそういうわけにはいかないのだ。「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」のようなタイプの絵なら、少し離れても見られるが、人物が多く描かれた絵では、人間のサイズがすごく小さい。平日に訪れ正解。土日だと、まず落ち着いて見ることは不可能だっただろう。
生き生き人の動き 「東海道金谷ノ不二」
三十六景とはいうが、実際には46枚が作られ富嶽三十六景。次々と眺めているうちに興味を引いたのは、動きが表現された作品群だった。たとえば「隅田川関屋の里」。疾走する馬の姿が生き生きと描かれている。跳ね上がるしっぽ、馬の筋肉などとても写実的。少し離れたところで先頭を走る馬だけ右向きになるなど遠近も表現されている。「東海道金谷ノ不二」は「越すに越されぬ大井川」の様子が描かれているが、川越しの人足など人の数に驚く。しかも、小さく描かれた人間の動きの生き生きさを感じるのだ。
まるで報道写真 一瞬を切り取った「駿州江尻」
強風に見舞われた旅人の姿を描く「駿州江尻」。上空に舞い上がる懐紙や笠、笠を抑え、身を屈める旅人たち。ここまで巧みに描かれた絵は見たことがない。現代であれば、その一瞬を撮影し、紙に書き写すことも可能だったろうが、あの時代、そんなことはできない。吹き飛ぶ紙の姿などどうやって描いたのだろうか。
印象派は静止画ばかり
気になって、自宅で昔出かけたパリのオルセー美術館の図録を見てみた。ほとんどはポーズを撮って静止した作品ばかり。辛うじて、バレリーナを描いたドガの一連の作品に動きが見られる程度なのだ。浮世絵は磁器の古伊万里の包み紙として欧州に入り、その美しさに驚愕した人たちの間からブームが起きたとされている。セザンヌ、ゴッホ、ルノワールら印象派の画家たちも驚いたに違いない。東洋の遅れた鎖国の国にはとんでもなく美しい絵が包み紙扱いされるほど数多く流通していたのだから。
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