2017年12月30日土曜日

子どもにとって恐怖の館だったけど、原爆の悲惨さもあっさりの資料館

 かつて子どもたちにとって広島の平和記念資料館(原爆資料館)は恐怖の館でした。熱線によって全身を焼かれ皮膚がぼろぼろになった姿を描いた人形など生々しい資料が展示されており、見学に来た多くの子どもがその夜、うなされて眠れなくなりました。もちろん、このことは子どもたちの心に戦争のむごたらしさ、原爆というあまりにひどい兵器の怖さを焼き付けました。そんな記憶を思い起こしながら、原爆資料館を訪れました。昨年も訪れましたが、そのときはオバマ大統領も入った東館が工事中で本館のみがオープン。今年になって東館がオープンしたことを知り、あらためて訪ねてみたのです。そして思ったのは、リニューアルのやり過ぎではないか。もしかしたら、その時々の市長の考え方によって作りかえられているだけではないのかという疑念でした。原爆投下から72年。世界で最初の被爆地が、もし市長の意向で変わるようでは情けないとしかいいようがありません。しっかりしてほしいと言いたいところです。

ハイテク展示、3Dで被害の広がり示す


 現在、オープンしているのは東館です。少し前、200円に値上げされた料金を払うとエレベーターで3階に上ります。そこには原爆投下前、平和な日常を営む広島市中心部の大きな写真が展示されています。昨年大ヒットした映画「この世界の片隅に」でヒロインのすずさんが お遣いに出かけた町並みです。歩いて行くと、原爆投下で焼け野が原になった広島市の光景に変わります。この対比はなかなかの工夫を感じます。中央を見ると、円形の広島市の地図の上で原爆が爆発し、爆風が広がり焦土と化していくようすが3D(おそらく)で描かれます。かつて上空580メートルといわれる爆心が示されているだけでしたが、今回は動きがありとても分かりやすくなっていました。さすがハイテクの時代です。 

被爆人形はなくなっていた オバマの折り鶴はあるけど


 2階に降りると、原爆の開発と第2次大戦が始まり、原爆投下に至る歴史でパネルで表示されます。多くの人がパネルを読んでいますが、ふと後ろを見ると、大きなテーブル状のものがあり、20インチほどのたくさんのディスプレイが並び、若者たちがタッチパネルで見ています。触ってみると、展示パネルと同じものが見られる仕組みになってました。いまどき、確かにこれぐらいは簡単なことですな。
 1階は原爆の熱線などで焼け焦げた物や、全身が焼けただれた被爆者の写真など生々しいものが展示されていました。見るのに耐えられないのか、パネル側の目をふさいで歩く小学生の女の子もいました。
 昨年、広島を訪問したオバマ大統領の折り鶴は地下に展示されていました。
 一方、本館は工事中のため閉鎖されていました。つまり私が見た物は一部というわけです。全体の印象として、とてもあっさりした展示になっていました。全身がぼろぼろになった人形はありません。、

価値観に左右されない実物資料って?


 この辺りの話を調べてみると、2013年頃、人形撤去をめぐる論争があり、広島市は、当時の惨状を伝える展示であるとの意見があるが、被爆者から「原爆被害はもっと悲惨」との声もあり、個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と判断したなどと見解を示しているようでした。ここからは想像ですが、あの松井という京大出の労働官僚出身の市長らしい判断に見えてなりません。
 広島市の主張は一見、もっともらしく見えます。しかし価値観に左右されない実物資料とは何でしょう。原爆の爆心の直下にあった病院では高熱によって人間が消えたとされています。そんなものが表現できるのでしょうか。結局、通常の生活で理解できる怖さを表現するしかないのではないか。

恐怖は心を怒りに変える、米国の犯罪行為を隠したいの?


 そして、その怖さは見た人に怒りを与えます「こんなことをしたのは誰だ」。武器を持たない女子ども老人の住む町のど真ん中に原爆を落とすという非人間的な行い。それも終戦間際、ほとんど戦闘能力を失った日本に。米国のこの行為はまさに犯罪以外の何者でもありません。子どもの時の恐怖体験こそが、この考えにつながったと考えています。
 広島には海沿いに三菱重工という大軍需工場がありましたが、原爆ではほぼ無傷でした。人間、それも女子どもを殺すことを目的とした爆撃なんてあり得るのでしょうか。米国人が「パールハーバーを忘れるな」と原爆と対比して、真珠湾攻撃のことを言いますが、米太平洋艦隊の攻撃とは次元が違うのです。だからこそ、世界中の人々が広島のことを学ぶのです。あのトランプ大統領でさえ、化学兵器という原爆と並ぶ非人道的な手段で女子どもを殺したシリア軍を攻撃したではないですか。

左派勢力の影響も


 とすれば、米国の太鼓持ちのような今の自民党政権とそれに連なる人たちにとって、あの展示は都合悪いに違いありません。広島市で比較的裕福な地域の公立小中学校を出て、あまり進学校ともいえない高校を出たあの市長は、間違いなく幼いころから被爆人形を見ています。彼の心には刻み込まれなかったのか。それとも、官僚の価値観が変えてしまったのか。
 ただし、あの人形が作られた背景には、当時の社会党を中心とした左派勢力の考えも色濃く反映されていることは否定しません。総評、日教組がやたら強い時代。市の運営も学校も彼らによって牛耳られていたことは間違いないでしょう。市長のような労働官僚からすれば、唾棄する存在なのかもしれませんが。
 さて、工事中の本館の展示はどうするのでしょう。東館を見る限り、小学校高学年以上でない限り理解は難しい展示になっています。小さな子どもたちにあんな悲惨な出来事は見せたくない、ましてや自民官僚大好きの米国の犯罪行為を植え付けるのはもってのほか、そうとでも思っているのでしょうか。
 

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