2017年12月31日日曜日

わろてんかの世界を堪能 笑いには体力が必要でした

 2017年の夏、最大のイベントと言えば吉本のなんばグランド花月を訪れたことでした。あべこうじ、ライセンスら若手から桂文珍、西川のりお上方よしおらベテランまで計7組と新喜劇の組み合わせでしたが、とにかく全部が笑わしてくれること。テレビの漫才などでは笑えないケースが半分以上ある気がしますが、どれひとつはずれがないのです。吉本の芸人が劇場で見せる力はホントにすごい。終わったとき、笑いすぎてへとへとになっていました。体力も必要なんだと痛感しました。これぞ「わろてんか」の世界です。


平日だけど満員、夏休みだからかな


 外を歩くとくらくらするような暑さの8月下旬の大阪。花月のある千日前は、平日なのに日本人だけでなくアジア系を中心にした外国人客でごった返しています。11時ごろ劇場に着くと、すでに12時45分の回は立ち見だけ。3時45分の回のチケットを買い、時間をつぶすことにしました。夏休み中だけに平日といえども、お客さんは多そうです。ミナミ周辺をぷらぷら回り喫茶店で時間をつぶし3時過ぎ、花月に舞い戻りました。入場が始まっています。

アホの坂田がお出迎え ビールとたこ焼き準備


 エスカレーターを上がり、劇場入口に着くと、何と「アホの坂田」が立っており、1日支配人としてお客さんに愛想を振りまいています。「坂田さんにこういう仕事をさせるなんて吉本もひどいなあ」と声も飛びます。入って正面が売店。左手の入口から座席へと向かいます。ここまではまあ普通の劇場でしょう。変わっているといえば、飲み食いが可能なこと。まるで相撲の枡席みたいです。オペラ、バレエ、コンサート、歌舞伎、宝塚。みーんなセキひとつできない雰囲気ですが、こちらは別。飲み物自由なだけでおありがたいです。実は入場前に入口横のたこ焼き屋さんでたこ焼きを買ってました。飲み物は当然、ビールと思い売店に向かうと、なんとも長蛇の列。始まっちゃうよと焦って前を見ると、ものすごい数のお土産を買っている人がいました。飲み食いの売店でそれをやるなよと言いたいところだけど、ここは待つしかありません。ようやくビールを買い終えて席に座ると、前説が始まっていました。男女5、6人の芸人さんが、グループでコントをやっています。まあこちらは若手の練習みたいなものなので、みんなガヤガヤと見ています。遅れて入ってくる人、食べ物を買いに行く人。


若手芸人のパワーがすごい


 この日の出し物は漫才・落語が桂文珍/西川のりお・上方よしお/Wヤング゙/ダイアン/あべこうじ/ライセンス。いよいよ本番の開始です。ライセンス、あべこうじ、ダイアンの若手が前半をつとめます。スピーディーなネタ、決した飽きるようなことはありません。テレビだと1つの出し物で2~3分程度でしょうけど、はるかに長く、7~8分は続くでしょうか。でも笑いっぱなしなのです。よく練られたネタというほかありません。
 このとき、飲み食いは気をつけなくちゃいけないことに気づきました。何せいつ「プハッ」とやってしまうか分からないのです。ビールを飲んでいて何度かそういう目に遭遇しました、何とか、こらえて迷惑かけずにすみましたけど。笑いって意表を突いてくるものだから、油断大敵です。

ベテラン勢と新喜劇


 若手3組が終わると、Wヤング゙、西川のりお・上方よしおのベテラン勢となります。悪いけどさっきまでの若手のパワーに比べると、ちょっと落ちるかな。でも、みんな60を超えており、ある意味、さすがです。最後が桂文珍の落語。やっぱり面白い。芸人が入れ替わるのもスピーディーでここまで休むがありません。自分に笑いの体力的キャパがあるとすれば、もう7割は使った感じがしています。
 桂文珍が終わったところで、新喜劇開始までの休憩に入ります。トイレ休憩、買い物休憩でもありますが、時間はあっという間に過ぎ、新喜劇がスタートします。もちろん一つ一つの出し物とは違いますが、こちらもよく練られた脚本で飽きることはありません。Mr.オクレは相変わらず何を言ってるのか分かりませんでしたけど。

 約2時間、新喜劇の大団円であっさり終わりました。皆さん、余韻を楽しむでもなくさーっと引き上げていきます。これも吉本の特徴なのかな。みなさん、土産物売り場をのぞいていますが、さほどグッズを手にしているようにも見えません。ここは歌舞伎や宝塚との違いかな。2時間で4700円。少々、高いけど、かなり満足です。というか、正直ノックアウトされるような疲れも感じました。笑うのには体力が必要なんです。映画とも違います。歌舞伎や宝塚はもっと長いけど、馬鹿笑いしていない分、それほど疲れた感じがしません。いやあ吉本、くせになりそう。わろてんかの世界堪能です。

2017年12月30日土曜日

子どもにとって恐怖の館だったけど、原爆の悲惨さもあっさりの資料館

 かつて子どもたちにとって広島の平和記念資料館(原爆資料館)は恐怖の館でした。熱線によって全身を焼かれ皮膚がぼろぼろになった姿を描いた人形など生々しい資料が展示されており、見学に来た多くの子どもがその夜、うなされて眠れなくなりました。もちろん、このことは子どもたちの心に戦争のむごたらしさ、原爆というあまりにひどい兵器の怖さを焼き付けました。そんな記憶を思い起こしながら、原爆資料館を訪れました。昨年も訪れましたが、そのときはオバマ大統領も入った東館が工事中で本館のみがオープン。今年になって東館がオープンしたことを知り、あらためて訪ねてみたのです。そして思ったのは、リニューアルのやり過ぎではないか。もしかしたら、その時々の市長の考え方によって作りかえられているだけではないのかという疑念でした。原爆投下から72年。世界で最初の被爆地が、もし市長の意向で変わるようでは情けないとしかいいようがありません。しっかりしてほしいと言いたいところです。

ハイテク展示、3Dで被害の広がり示す


 現在、オープンしているのは東館です。少し前、200円に値上げされた料金を払うとエレベーターで3階に上ります。そこには原爆投下前、平和な日常を営む広島市中心部の大きな写真が展示されています。昨年大ヒットした映画「この世界の片隅に」でヒロインのすずさんが お遣いに出かけた町並みです。歩いて行くと、原爆投下で焼け野が原になった広島市の光景に変わります。この対比はなかなかの工夫を感じます。中央を見ると、円形の広島市の地図の上で原爆が爆発し、爆風が広がり焦土と化していくようすが3D(おそらく)で描かれます。かつて上空580メートルといわれる爆心が示されているだけでしたが、今回は動きがありとても分かりやすくなっていました。さすがハイテクの時代です。 

被爆人形はなくなっていた オバマの折り鶴はあるけど


 2階に降りると、原爆の開発と第2次大戦が始まり、原爆投下に至る歴史でパネルで表示されます。多くの人がパネルを読んでいますが、ふと後ろを見ると、大きなテーブル状のものがあり、20インチほどのたくさんのディスプレイが並び、若者たちがタッチパネルで見ています。触ってみると、展示パネルと同じものが見られる仕組みになってました。いまどき、確かにこれぐらいは簡単なことですな。
 1階は原爆の熱線などで焼け焦げた物や、全身が焼けただれた被爆者の写真など生々しいものが展示されていました。見るのに耐えられないのか、パネル側の目をふさいで歩く小学生の女の子もいました。
 昨年、広島を訪問したオバマ大統領の折り鶴は地下に展示されていました。
 一方、本館は工事中のため閉鎖されていました。つまり私が見た物は一部というわけです。全体の印象として、とてもあっさりした展示になっていました。全身がぼろぼろになった人形はありません。、

価値観に左右されない実物資料って?


 この辺りの話を調べてみると、2013年頃、人形撤去をめぐる論争があり、広島市は、当時の惨状を伝える展示であるとの意見があるが、被爆者から「原爆被害はもっと悲惨」との声もあり、個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と判断したなどと見解を示しているようでした。ここからは想像ですが、あの松井という京大出の労働官僚出身の市長らしい判断に見えてなりません。
 広島市の主張は一見、もっともらしく見えます。しかし価値観に左右されない実物資料とは何でしょう。原爆の爆心の直下にあった病院では高熱によって人間が消えたとされています。そんなものが表現できるのでしょうか。結局、通常の生活で理解できる怖さを表現するしかないのではないか。

恐怖は心を怒りに変える、米国の犯罪行為を隠したいの?


 そして、その怖さは見た人に怒りを与えます「こんなことをしたのは誰だ」。武器を持たない女子ども老人の住む町のど真ん中に原爆を落とすという非人間的な行い。それも終戦間際、ほとんど戦闘能力を失った日本に。米国のこの行為はまさに犯罪以外の何者でもありません。子どもの時の恐怖体験こそが、この考えにつながったと考えています。
 広島には海沿いに三菱重工という大軍需工場がありましたが、原爆ではほぼ無傷でした。人間、それも女子どもを殺すことを目的とした爆撃なんてあり得るのでしょうか。米国人が「パールハーバーを忘れるな」と原爆と対比して、真珠湾攻撃のことを言いますが、米太平洋艦隊の攻撃とは次元が違うのです。だからこそ、世界中の人々が広島のことを学ぶのです。あのトランプ大統領でさえ、化学兵器という原爆と並ぶ非人道的な手段で女子どもを殺したシリア軍を攻撃したではないですか。

左派勢力の影響も


 とすれば、米国の太鼓持ちのような今の自民党政権とそれに連なる人たちにとって、あの展示は都合悪いに違いありません。広島市で比較的裕福な地域の公立小中学校を出て、あまり進学校ともいえない高校を出たあの市長は、間違いなく幼いころから被爆人形を見ています。彼の心には刻み込まれなかったのか。それとも、官僚の価値観が変えてしまったのか。
 ただし、あの人形が作られた背景には、当時の社会党を中心とした左派勢力の考えも色濃く反映されていることは否定しません。総評、日教組がやたら強い時代。市の運営も学校も彼らによって牛耳られていたことは間違いないでしょう。市長のような労働官僚からすれば、唾棄する存在なのかもしれませんが。
 さて、工事中の本館の展示はどうするのでしょう。東館を見る限り、小学校高学年以上でない限り理解は難しい展示になっています。小さな子どもたちにあんな悲惨な出来事は見せたくない、ましてや自民官僚大好きの米国の犯罪行為を植え付けるのはもってのほか、そうとでも思っているのでしょうか。
 

2017年12月29日金曜日

太川藤吉の騒動でうがった見方、それが芸能界なのさ

 ワイドショーを賑わした藤吉久美子の不倫騒動。「文春砲」でスタートしたこの騒動は夫、太川陽介の「神対応」で沈静化しそうな雰囲気だが、知り合いのベテラン芸能記者がうがった見方を示してくれた、つまり藤吉久美子のあの行動、それが女優という仕事の裏の姿ではないのか。ひどい言い方になるけど、言葉を換えれば「枕営業」。もちろん根拠など何もないなのだが。

出続けるためには


 記者の説明によると、藤吉久美子と朝日放送プロデューサーの関係は世間的には不倫とみられるだろうが、実態は違うのではないか。NHK朝ドラの主演をつとめたかつての人気女優も56歳。それほど華のある女優でもなく、コンスタントにテレビ、映画に出続けるためには、出演者を決める側に食い込むことが必要。それはプロデューサーだったり監督だったりする。同じような女優ははいて捨てるほどいるわけだから、誰かを選ぶときの決め手は結局、人間関係になる。それが男と女、それも女の側は世間一般からはぬきんでた美人なのだから男の側が手を出してもちっともおかしくないし、時にそれに応えるぐらいでないと、なかなかいい仕事を得られないだろうというのだ。

ハリウッドのセクハラ騒ぎ


 敏腕映画プロデューサーが追放されるなどハリウッドを起点としたセクハラ騒ぎが広がっているが、芸能界のこうした風習を断ち切るのは難しいのではないか。採用する相手は気心、いや体を含めて知れてる相手の方がいいに決まってる。一般社会とはケタが違う競争社会、候補はいくらでもいるのだから。日馬富士事件で見られるように大相撲の暴力体質がなおらないのと同様だ。出演者を選ぶ際、売り上げデータなど客観的な指標はない以上、制作者側にすべての権限が集まってしまう。

業界の慣例知る旦那は「よくやってる」


 一方、太川陽介はどうか。あの「神対応」の裏にあるのは、よーするに業界の慣例を知っているからではないか。妻が仕事のために、ほとんど「枕営業」のようなことをしている。言い方を変えれば仕事を得るために最大限の努力をしている。それは芸能人としての本来の姿であって、妻といえどもせめるわけにはいかないし、覚悟の上だと。

 「ルイルイ」のアイドル時代から鳴かず飛ばずとなり、路線バスの旅でようやく日の目を見るようになった太川を支えたのは藤吉久美子。それをさらに支えたのは、くだんの朝日放送プロデューサー。むしろ、藤吉は「よくやってる」ぐらいの目で見ていたのではなかろうか。だから、妙に明るい太川陽介の神対応はむしろ当然。涙涙の藤吉の対応はそうはいっても、太川に対する申し訳なさを示しているのだろう。とすれば、一般の夫婦での妻の不倫騒ぎとは意味が全く異なる。

誰かがちくったか


 ところで、文春がマークしていたとも思えないこの夫婦のことが明るみに出たのは、結局「ちくり」ではないのか。藤吉クラス、つまりドラマや映画、バラエティーの4、5番手の立場のタレントはおそらく星の数ほどいる。逆に言えば、ライバルがものすごく多いということだ。ねたみ、そねみ、そんな人たちからの通報が取材のきっかけにとなったのかもしれない。
 もう一つ言えば、あのプロデューサー、美味しい物を「食べた」ことがばれちゃったわけで、日本のサラリーマン世界はどんなに敏腕であっても、それをまず許さない。制作とはまるで無関係の子会社に飛ばされるのがふつーだろう。ホントに敏腕なら、会社を飛び出し自力で這い上がっていくだけのことだ。
 
 そんなことを思いながらネットを見ていたら、
こんな記事を見つけました。

http://biz-journal.jp/2017/12/post_21763.html

ビジネスジャーナルというサイトの存在、かなり面白いかも。

2017年12月28日木曜日

国保か健保の任意継続か、定年の時の健康保険のお話

 先日、60歳定年できっちり退職した元同僚と話していると、1年間まったく収入がなかったので、国民健康保険の保険料は月1人2000円ぐらいだったということを聞いた。こちらは会社の健保の任意継続という制度を利用しており、月々の保険料は夫婦で25000円ほど。現役時代の2・5倍で高いと思っていたが、元同僚とは5倍以上の開きがある。現在、仕事はアルバイト程度しかしておらず、収入は月10万もない。年金も出ておらず、退職金を取り崩して生きているのだが、この違いどうなっているのか、からくりを調べてみた。そして、知らなければ、とんでもない保険料になったりする事実を初めて知った。こうした実態を国・自治体や企業はやっぱりちゃんと教えてくれなくちゃとつくづく思う。

定年直後に国保加入はとんでもない保険料 任意継続は猶予期間


 自治体によっては、ホームページの中に国民健康保険料を試算できるサイトをもうけており、簡単に試算ができる。そこで、まず60歳定年後、すぐに企業の健保から国保に加入するとして計算してみた。すると、とんでもない保険料になった。前年は現役だから収入は多い。その結果、年間80万円という結果になった。世間一般では給料が多い方の会社に勤め、最後は管理職だったが、まさか退職後の年間収入とほとんど変わらないほどの保険料になるとはびっくりだった。
 ここで登場してくるのが健保の任意継続という制度だ。2年間の期間限定。企業の健保の場合、現職は会社側が半分ぐらい保険料を出しており、自己負担は1万円を切るぐらいが普通だが、その分がなくなるため、保険料は倍以上に跳ね上がる。年間30万円ぐらいはかかる。それでも国保に比べれば、とんでもなく安い。定年即退職の場合は任意継続をおすすめと言うほかない。

フルタイム継続雇用は選択の余地なし


 ただ、定年と同時に大半の人が仕事を辞め、年金で暮らす時代は終わり、多くのサラリーマンの場合、継続雇用という形で働く。フルタイムの場合は健保はそのままの保険料で継続されていくので選択に悩むことはない。継続雇用でも週労働時間20時間未満の場合は、どうするか。上記の理由で任意継続を選ぶほかない。1年目は現職の収入で保険料が決まるからだ。

任意継続は2年まで、途中やめられない


 問題は2年目からだ。継続雇用の場合、フルタイムであろうが、週20時間未満であろうが、収入は現職に比べ大幅減。特に後者は多くても年収100万程度で任意継続の保険料30万ということになる。では、その収入で国保の保険料がいくらになるかというと、1人月3000円ぐらいとなり、夫婦で6000円×12カ月で7万2000円。国保の方が圧倒的に安い。
 では乗り換えればいいではないかというと、ことはそう簡単ではない。任意継続は2年間の間、自分からやめることはできない仕組みなのだ。通常であれば、30万円を払わなければならない。いろいろ調べると、裏があるようなのだが、それは後述する。

継続雇用後は国保も任意継続も変わらず


 一方、継続雇用のフルタイムで働いた人がやめたときはどうかというと、多くの人は退職後の給与が現職に比べ大幅に減っている。年収400万ぐらいだと、保険料は任意継続も国保もあまり変わらなくなる。そこは面倒くさがらずに計算しておくことが必要だろう。市町村のホームページで簡単にできるのだから。
 では私の場合はどうか。退職後はフルタイムの契約だったが、大病を患い、ほぼ1年働けなかった。年金も出ないことに同情したのか、会社は契約はそのまま、すべて欠勤扱いとし、3分の1に減っていた給料のまた3分の1ぐらいを支給した。まったく働いていないにもかかわらずだが、ここまで激減すると、結構苦しい。ただし、保険料は現職と同じなので安かった。

何も考えずに任意継続


 1年経過して、復帰したとき、体調からフルタイムは不可能になり、欠勤を繰り返しながら働いた。3カ月ほど働き、次に週20時間未満の働き方を選択、そこで、任意継続か国保かの選択を迫られた。そして何も考えず任意継続を選択した。今、計算してみると、国保の年間保険料は20万ほどだった。あちゃーと思ったが、もう遅い。
 そして2018年4月からの来年度。先に試算したように7万2000円ぐらい。30万円はあまりにも高い。任意継続のことを調べてみると、資格を失うのは、ほかの企業に就職して健保に入ったときか、保険料の支払いが1日でも遅れた場合と書いてあった。もしそうであれば、保険料不払いを強行するしかないのだが。何か落とし穴はないのか、思案中だ。任意継続は現職からの退職直後のサラリーマンには有利な制度だが、場合によっては国保の方がもっと安く済むことを知っておいた方がいい。
 もっとも、こんなお話も仕事をすべてやめ、年金暮らしになれば選択の余地はなく国保。夫婦合わせて年金が200万ぐらいだと保険料は10万円を切るぐらいだ。

2017年12月19日火曜日

カサブランカ、東京・南青山の店で本格復活 ホームページにコーナーも

 復活した高級籐家具カサブランカの最新レポートです。12月半ば、在庫や商標を買い取った家具インテリアメーカー「エスティック」の東京・南青山のショップ「エスティックインアウトリビング青山」=東京都港区南青山6-1-3=で本格的な販売が始まってました。エスティックのホームページにはカサブランカのコーナーも開かれておりファブリックの色合いや価格も出ていました。小規模だけど、本格的な復活です。かつてのように全国の家具店に並ぶなどの発展を遂げていくのか、興味深いところです。




当時売れ筋の「ガテンザ」が展示


 南青山のショップは参道交差点から根津美術館方向に約5分のコレッツィオーネというビル2階にあります。安藤忠雄氏の設計とかで、コンクリート打ちっ放し、まるで迷路のような階段がある面白いビルです。
 お店はそれほど大きな店ではありません。おしゃれな家具があちこちに並んでいます。入口入ってすぐにカサブランカでも一番の売れ筋という「ガテンザ」が展示されていました。今年の3月に見た時と同じ場所、ファブリックもグレーというか青というか、比較的地味な色合いの物が置かれていました。ホームページを見ると、あまり正確な記憶ではありませんが、値段は当時とおおむね同じぐらいかな。「ガテンザ」を3人掛け風に組み立てた場合、40万円ぐらいしますから、相変わらずなかなかの高級品です。




ファブリックは自主開発 世代変わって引き継がれるケースも


 お店の人に聞くと、ファブリックは基本的にはこちらで開発したものとのこと。以前のカサブランカは花柄など派手な模様が多かったようだけど、自主開発の商品では無地などシックなものが多くなったと話してました。
 こちらがファブリックが古くなって、どうしようかと思っていると話すと、そういうお客さんがとても多い。25年ぐらい前に買ったのだけど、傷んでしまって変えようと探してきたという人が訪ねてきたり、電話があったりします。特に「ガテンザ」に関してはとても問い合わせが多いそうです。
 また、「実家にあったのだが、こちらに持ってきて使いたいので」と、世代が代わっても引き継がれるケースがあったり、新しい物を買いたいとの要望もあったりするとのこと。籐が部分がとても頑丈にできていることを示しているようです。「この店に並んでいる商品は少なかったですけど、ファブリックの交換などはホームページで見てほしい」と店の人は話してました。




ホームページはこちら
http://www.estic-jp.com/casablanca/

外国人客用白タクけしからんと言うけれど

 テレビを見ていると、先日来、中国人ドライバーによる白タクのことが半ば犯罪キャンペーンの形で報道されていた。成田空港や関西空港でワンボックスカーを中心に観光客を迎えに来ており、都内のホテルなどに送る仕組み。観光客は中国国内の会社とネットで車を手配し、支払いも済ませており、金銭のやり取りがないため当局は摘発が難しいという。インタビューに対しドライバーは一様に「友達の迎え」と答え、一方、空港のタクシー運転手からは「白タク行為そのもの。客が奪われておりけしからん」と怒りの声を伝えていた。確かに日本では法律がある以上、白タク行為は許されないだろう。故に当局はさっさと摘発すべきだというトーンでまとめられていた。




ニーズを掘り起こしてきたのか


 違法行為をやってる連中に同情する気はさらさらないし、とりあえずとっ捕まえて法治国家としての姿勢を示してほしい。しかし、である。こんな事態が起きるには理由がある。今回のことで言えば、明らかにタクシー会社の怠慢だ。規制の上にあぐらをかき、客のニーズを掘り起こしてこなかったことに原因がある。
 海外に出かけたときのことを考えてほしい。航空機とホテルだけがついてあとはフリーという場合、空港からホテルまではワンボックスで送ってもらうケースが多い。バンコク、台北、香港などでそんな経験をした。海外に降り立ち、初めての地で手配された車がおり、あまり上手とは言えない日本語でも会話できればとても安心だ。地元のタクシーの行列に並ぶことなど、海外旅行に慣れていないと難しい。英語圏の国ならともかく、それ以外だともっと緊張するだろう。ただ彼らの形態が白タクに近いのか、旅行会社のドライバーなのかはよく分からない。国によって違うだろうが、そもそもそんな区別はないのかもしれない。ロシアだって、タクシーはほとんど走っておらず、市民が堂々と白タクを利用している。


自分が中国人なら、日本のタクシーには乗りたくない


 そこで逆の立場で考えてみよう。成田や関空に降り立ちタクシーに乗ろうとする。運転手はもちろん、ほとんど英語も話さないし、ましてや中国語や韓国語などは話さない。おまけに愛想がいいわけでもない。むすっとした態度が多いことは、皆さんよくご存じだろう。外国ではタクシーに気をつけろとよく言われる。ぼったくりにあったり、変なところに連れて行かれたり。日本だけが例外でいられるわけではない。訪日客はみんなそんな風なイメージでやってくる。




白タク丸ごと奪い取れば


 であれば勝負はすでについている。スマホのアプリで簡単に予約でき、迎えに来てくれて言葉も通じる。外国人にとって白タクかどうかの規制など関係ないのだ。事故時の保険とかの問題もあるだろうが、海外旅行客は元々、旅行保険に入っており、自分が運転しているのと違ってあまり影響もないはずだ。
 問題はこれだけ訪日客が増えているというのに、特に中国客の増加ぶりはすごいのになぜ手をこまねいてるかだ。中国の旅行会社とタイアップし時には中国人ドライバーも雇い、白タク営業分を奪い取ってしまえばいいではないか。日本のきちんとした会社であれば結果的に事故が起きたときの対応が違うはず。いわば闇商売のような中国人白タクとは同列とはならない。そして現場のタクシー運転手は客が取られたと文句を言う。その前にやるべきことがたくさんあるだろうに。



規制業種たたくばかりで、発展見られず


 タクシー業界は建設業界と並んで、不況時の雇用の受け皿的な役割を担ってきた。しかし、少子高齢化の中でドライバー不足は顕在化しており、白タクをたたいたところで、いたちごっこが続くばかりだ。先日のテレビ番組では成田から東京都心部まで2万円と、タクシーより2500円安いぐらいでそれほどダンピングをしているわけではないようだ。とすると、彼らと敵対するより取り込む方がはるかに価値が高くはないか。もっと大きな所を見た方がいいのではないか。

2017年12月15日金曜日

世界一の広告会社がこんなことやるか アサツーディ・ケイTOBの裏側で

 2017年の秋、東証一部上場企業の経営陣が25%近くの株を持つ筆頭株主との業務提携を解消、自分の会社をほかの会社にTOBしてもらうという珍しい出来事があった。身売りしたのは国内広告会社第3位のアサツーディケイ。大株主は世界最大の広告会社の英国のWPP。ほかの会社とは米投資会社ベインキャピタル。経営規模からすれば、実態はどうあれ、子会社が親会社を裏切って勝手に身売りしたようなお話なのだ。
 さすがにWPPは納得せず、株のTOB価格が安すぎるとし、アサツーの一部の行為に対する禁止の仮処分を東京地裁に申請するなど、一時はTOBは成立しないとの見方が広がった。成立のためにTOB株価3660円の引き上げが必須と判断した投資家らは買いに走り、株価は一時4000円近くまで跳ね上がった。 
 しかし11月21日、アサツーとベイン側とWPPとの間で合意、一転、TOB成立の見込みになった。そこにどんな駆け引きがあったか知らない。ただ、アサツーとWPPの間に現代の企業社会においてあり得ないような、いびつな関係があり、そのことがアサツーのWPPとの関係離脱を招き、またWPPも認めざるを得なくなったようだ。


筆頭株主が経営資源収奪


 ビジネスジャーナルの編集部がまとめた記事によると、真相は以下のようなことらしい。
http://biz-journal.jp/2017/11/post_21513.html

 筆頭株主という立場を利用した経営資源収奪の構造だった。

 アサツーという会社は投資家の世界では、高配当会社として有名だった。
2011年12月期は特別配当89円を含め1株109円。当時、株価は2500円ぐらいなので単位株(100株=25万円)を持っていたら、4%にあたる1万ほどの配当がある。各社ともここ1、2年配当がかなり上がっているが、当時、そんな高配当会社を見つけるのは難しかった。2014年に至ってはさらに跳ね上がり、1株571円。株価はそれほど変わっていなかったので、単位株で5万7100円。配当は20%ぐらいになった。
 それだけの配当は、多くの投資家を驚かせ、ネット株関連の掲示板では正式発表にもかかわらず「そんなことはあり得ない」「ウソつくな」というやり取りが乱れ飛んだ。

配当のために会社資産切り売り


 だが、ビジネスジャーナルはその実態を暴露している。配当性向(純利益から配当に回す割合)は3割程度が普通だが、14年の配当性向は646・5%。稼いだ純利益の6・5倍の配当を支払ったことになる。WPPはアサツーの1033万株を保有。11年から16年まで実に132億円の配当を手にし、アサツーは最終利益以上の金額を配当に回さざるを得なくなり、会社資産の切り売りに追い込まれたというのだ。

 どこの世界に経営資源まで配当として奪い去っていく株主がいるだろうか。それでは企業はいずれじり貧となってしまう。儲かった分の一部を株主に還元するのは当然だが、残りは発展のための資金として使い、企業価値を高め株価を上げ、配当も増やすというのが本来のあり方だ。企業の儲けを食い物にするというのはあり得ないし、ましてやWPPは同業であり、ともに発展していく仲間ではないか。


ホワイトナイト招き、筆頭株主排除


 2013年、社長に就任した植野氏は14年からWPPとの資本業務提携解消に向けて協議を進めた。WPPは“植野切り”に動き、株主総会で植野氏の再任に反対票を投じ、再任賛成率は59.49%とかろうじての承認となった。そして、ベインをホワイトナイト(白馬の騎士)として招き、WPPの排除に踏み切った。
 植野氏は米通信社ブルームバーグのインタビューで、「我々はWWPの子会社ではない。彼らが自らの利益を優先してくるところが大きかった」と、提携解消を決断した理由を明らかにしている。

高額配当の裏で奴隷みたいな関係が


 アサツーの株主として、高額配当をもらい、株主総会にも出たことがあるが、そんなばかげたことになっているとは知らなかった。世界1とはいえ、たかが英国の広告会社に日本の広告会社が奴隷のようなまねをされている。それに、世界1の広告会社がこんな振る舞いをして、それこそ、自分の株主から非難されなかったのか。こうした事態を白日にさらすことができなかったジャーナリズムも情けないというほかない。
 40年近く前、数十社の会社訪問で初めての内定をもらった会社(就職は別の会社)がこんな状態に陥っていたとは。

リプリーのちっちゃなパンツ 映画エイリアンの記憶

 帯状疱疹というつらいつらい病気にかかった。患部だけでなく、偏頭痛や節々の痛みでほとんど寝たきりになった。そんなとき、テレビ東京が昼間の映画番組でエイリアンとエイリアン2を2日続けて放映した。最近公開された6作目のエイリアン・コヴェナントの前触れということもあるのだろうが、40年ほど前の公開当時はよく分からなかった細部のストーリーが理解できて、ある意味、面白かった。でも、一番気になったのはヒロインのリプリー(シガニー・ウイーバー)の小さなパンツだった。

陰毛ぎりぎり、後ろは半けつ

エイリアン第1作では、たった一人エイリアンの攻撃から生き残り、脱出用のシャトルに乗り込んだリプリーは、なぜかノーブラのTシャツとパンツ1枚になる。横の部分が紐状(紐パンではない)で前から見ると、陰毛の境目のギリギリ。後ろ姿ではお尻の割れ目が見えちゃう、いわゆる「半けつ」状態なのだ。エイリアンは決してセクシー映画でもないし、あえてそんな場面は必要はないように思える。それにシガニー・ウイーバー自身もセクシータイプの女優ではない。なのに、その格好でエイリアンと最後の戦いを繰り広げるのだ。

小さなパンツはステージ衣装


 公開の1979年当時、日本の女性はまだあんな小さなパンツをはく雰囲気はなかったように思う。おそらく紐パンもTバックもあったはずだが、ストリップのステージ衣装のようなもの。前年公開の日本映画「サード」で森下愛子がビキニのパンツ1枚の姿を見せるが、サイドの幅は3~4センチぐらいあった。アイドルが着たビキニの水着でも同じようにサイドが4~5センチ以上。それが当時のセクシーなパンツの限界だった。リプリーのパンツは女のパンツは、かくも小さくなるのかというインパクトがあった。おまけに生地が薄い。

7年後は少し大きく


 7年後のエイリアン2。なぜかリプリーは再び小さなパンツ姿を見せた。エイリアンと遭遇する前、宇宙船の睡眠装置から目覚めたリプリーはほかの女性兵同様、またまたノーブラTシャツに小さなパンツ姿だ。前作、同様、ラストに向けて脱出用シャトルに乗り込んだ後も、同じ姿になる。ところが、第1作と比べると、パンツが少し大きい。サイドは紐状ではないように見える。エイリアン2まで7年。年齢を重ねたウイーバーがいやがったのか、それとも、パンツの流行が少し変わったのか。

小さなパンツに男は釘付け


 そのころ、日本の女性のパンツは小さくなっていた。あまり正確な記憶ではないが、ベーシックな衣料品しか扱わなかった無印良品でさえも、紐状ではないがサイドが1センチほどしかなく、生地も薄いコットンのパンツを売っていた。 ふと気になり、ネットで「リプリー」「パンツ」というキーワードで調べてみると、当時、多くの男たちが、リプリーの小さなパンツに釘付けになっていることが分かる。中には「このシーンがあったから爆発的にヒットした」と指摘する方もいらっしゃるようで。
 ところで、寄生した人間の胸付近を突き破って出ててくるエイリアンの形って、よく見ればペニスそのもの。エロ漫画で亀頭の周囲に人間の顔を描くケースがありますが、まさにそんな感じ造形。リドリー・スコットという監督さん、かなり遊んでいたみたいですね。

お好み焼き、国際料理になっちゃった 千日前の福太郎

 日が暮れてもいらいらするような暑さが続く8月下旬の平日の大阪・千日前。晩飯に知人から美味しいと聞いたお好み焼き屋「福太郎」を訪れました。店の前には7、8人分の椅子が置いてありますが、いずれも埋まっています。驚くことに聞こえてくる言葉は朝鮮語ばかり。やたら外国人が目立つ千日前のことだから、さもありなんと思いつつ、店の中に入って順番待ちリストに名前を書き込もうとしたら、店の人から言われた言葉が「イエスプリーズ」。生まれて初めて外国人と間違われました。


アンドレさん、キムさん、ワンさん

 それから待つこと30分。不思議な感覚に襲われました。何せ待っている客がやたら国際的なのです。朝鮮語ばかりと思ったら、中国語、英語、さらには欧州系の外国語。別の国にいるかのような感じさえします。店の人が待っている客に注文を取りに来るのですが、会話は片言の英語混じり。店の中から呼ばれる客の名前も「アンドレさん」「キムさん」「ワンさん」だったりするのです。お好み焼きなんてローカルな庶民の食べ物が、世界とつながっているのです。待っていると、若い女性が途方に暮れていたので、店の中のリストに名前を書くように教えました。聞いてみると、一人旅の韓国女性。レストランというより、あまりきれいに見えないどこにでもあるお好み焼き屋。海外で不安もあるだろうに、お好み焼きはそんな人でも吸い寄せてしまっているのです。


フワフワ食感、美味しいー

 やっとのことで店に入れます。店内は結構広くて、コの字型の鉄板が置かれており、30~40人は入れそうな雰囲気。内側では店の人が忙しく立ち働いています。商売繁盛、いいことです。待っている間に注文していたので、すぐに品が出ます。オーダーしたのは人気ナンバーワンと書かれていた豚玉のお好み焼きでした。

 箸で食べることを想像していたのですが、へらで直接、鉄板から食べるって大阪風では初の体験でした。ホットケーキのような厚く硬い食べ物を想像したのですが、一口食べてみると、卵を2、3個使っているのか、かなりフワフワな食感。鉄板も温度が工夫されているのか、焦げることなしに食べられました。ソースも美味しく、ボリュームもほどほどにあり、酒のつまみにしかならないというこちらのイメージとは別物でした。ビールとの相性もよく、とても美味しい食べ物でした。


広島にまけない、美味しい物は美味しいのね

 お好み焼きというのは、自分の出身地から広島の食べ物というイメージを持ってました。しかし、食べてみて考え方が一変。美味しい物は美味しいのだと思ってしまいました。ほかの店はどうか知りませんけどね。注意してほしいのは店内は禁煙ではないことです。隣の客がたばこに火をつけると、その向こうにいた女性の外人客が露骨に嫌な顔をしたのです。元喫煙者の私はまったく平気なのですが、これだけ国際的だとちょっと無理かなと感じましたそれと、平日のせいか9時近くになってくると、待ち時間がほとんどなく、すぐに入れるようになりました。ここからは日本のサラリーマン風ばかりでした。

世界進出のチェーンも

 美味しくてそれなりにボリュームがあり、すぐに食べられてコストも安い。お好み焼きはイタリアのピザのように、日本を代表する料理に、なーんてことには、なってほしくはないですけどね。ラーメンがそれ風になって外人客が殺到していると聞くけど、世界に本格的に進出するお好み焼きチェーンも登場するかもしれませんね。

2017年12月14日木曜日

アクアライン連絡道路で33キロオーバー、あえなく2万5000円

 何気なくバックミラーを見た瞬間目を疑った。天井で赤色灯を点滅させたグレーの車がぴたりと私の後ろについているのだ。「ええ、アタシ?スピード違反で捕まるの?」と思わず声が出た。場所は東京湾アクアラインの木更津金田インターを過ぎて数キロの連絡道。反則切符を見ると、住所は袖ケ浦市になっている。木更津のアウトレットに向かう車が多いせいか、この場所に来ると、多くの車が木更津金田インターから降りてしまい、車の量が減ってしまう。そんな場所でアクセルを踏み込むこともなく左の走行車線を走っていて、とっつかまってしまったのだ。33キロオーバーで2万5000円。情けないこのトラブルの顛末を紹介すると。

スピード違反は40年以上無縁


 自慢じゃないが、20歳ごろに市街地の40キロ道路で18キロオーバーをしたのが最後で、その後は40年以上一度もスピード違反でつかまったことはない。常に法定速度を守るといったバカな運転をしているわけではないが、流れの中で走ることを心がけており、追い越し車線でぐんぐん飛ばすようなことはまずやらない。それに、日常的に走ることが多い、第3京浜、横浜横須賀、東名、圏央道など通行量が多くて流れも速く、よほどの運転をしない限り捕まることはない。小田原厚木道路だけは70キロ制限ということもあり、かなり慎重に運転しているが。というわけで、今回のスピード違反はまさかまさか、だったのだ。ただ一言いや三言も五言も千葉県警に言いたいが、やっぱ、私のスピード違反摘発はかなり嫌らしい、いや卑怯だろうそれ。

制限速度は80キロだった


 川崎からアクアラインで千葉方面に向かうと、暗くて狭いトンネル内ではよほど慣れていないと、そんなにスピードは出せない。海ほたるをすぎ橋の上に出ても、通行車両は多い上に海ほたるからの合流車もあり、制限速度の80キロを大幅に超える運転は難しい。もちろん東京湾が広がる眺めも良いし、焦って走るのももったいない。
 問題はアクアラインの料金所を過ぎ、連絡道路に入って木更津金田インターを通過したあたりからだ。車の数は減り、走りやすい直線の道路が続く。おぼろげな印象としては少し下っていた感じがする。こうした状態だと、軽くアクセルに足を置くだけで100キロは超えてしまう。私は追い越しをかけようとするつもりもなく、漫然と左車線を走っていただけなのだ。そんな状況だからパトカーに追尾されたときにはびっくりした。違反切符を切ったおまわりさんは、113キロ出てました。この道路は80キロですし、表示もあったはずと説教をたれた。だがしかしである。上記の理由からこの連絡道を80キロにしておく理由が分からない。数キロも走って館山自動車道に出れば制限速度は100キロ。特段複雑な構造でも見当たらないまっすぐな道路なのに。

スピード出やすいことを知ってるはず、そこに覆面パト投入?


 勝手な推測だが、千葉県警はおそらく連絡道がスピード違反を起こしやすいことを知っている。覆面パトを走らせれば絶好の餌食がうようよ走っていることを知っている。80キロ制限守らせようとするなら、通常のパトを走らせドライバーを威圧するだけで十分なのに。しかも捕まるのはよそ者。次に来るときは忘れているかもしれないのに。川崎方面から来るドライバーは首都高の湾岸線を通ってくる。首都高の中では圧倒的に流れが速い。だからよけいでもスピードに対する感覚が鈍くなる。それ故の覆面パトだとつくづく思う。やっぱりいやらしいよ千葉県警。

プジョーの安定性が良すぎることも一因?


 ところで、わが愛車プジョー2008側にもやや問題が。自慢するわけではないが、日本車に比べて高速安定性がかなり良い。113キロと言われて初めて分かったぐらいで実際には90キロぐらいの感覚だった。以前、乗っていた2010年式フォルクスワーゲンゴルフに初めて乗ったとき、日本車に比べ圧倒的だった高速安定性にびっくりしたものだが、100キロを超えたときのそれより、さらに安定性をよく感じる。先日、新東名を走ったのだが、何キロとは言えないもののかなりの高速で安定しているのにはびっくりしたものだ。今回のスピード違反にそのことが多少は関係している可能性もなくはない。
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2017年12月13日水曜日

スターウォーズの同窓会だった 再開第1作フォースの覚醒

 再開2作目のスターウォーズ公開が近づいてきた、予習の意味で2015年公開の「スター・ウォーズ フォースの覚醒」をDVDで見た。久々だったけど、違和感なく見られた。でも、驚いたのは出演者。ほとんど同窓会だ。人生60年も過ぎるとそんな気分となり、この夏、幹事として33年ぶりに高校の同窓会をやっちゃったけど、ハリウッドの人々もそんな気分があるんだねえ。

最初はふつーの新作と思っていたが


 基本的に知識ゼロで見た。おととしの公開当時は、重い病気で治療を受けており生きられるかどうか、絶望的な気分で映画どころじゃなかったもんなあ。そんなことを思いつつも、画面に見入る。今回は主人公がヒロインという今時らしい構成。レイを演じたデイジー・リドリーという女優さん、こういう強い役をすると、その後の別のタイプに出演することが難しくなりそうだなあと、変な心配をしながらストーリーを追う。ここまでは新作映画そのものだ。

出たあ-、ハン・ソロにチューバッカ


 そして、出てきましたあハリソン・フォードのハン・ソロ。それもチューバッカを引き連れて。老けましたなあ。彼にとっての出世作はスターウォーズというよりインディー・ジョーンズでしょうけどね。スターウォーズ1作の公開当時より体がひと回り小さくなった感じ。周りの出演者が大きくなったってことだろうなあ。今年75歳。アクション映画にはちとつらいよね。

見たくなかったかも、レイア姫は


 もっとびっくりは次に登場したレイア姫演じるキャリー・フィッシャー。もう姫じゃないよね。あのころは君は若かった。女というより「おきゃん(古いかなあ)」な少女だった。まだ20歳か21歳。それが、うーん。おばさん、いやおばあちゃんになっちゃった。公開翌年の12月に60歳で亡くなってしまったけど、それにしても・・・年が1つ上の高橋恵子、秋吉久美子、日本の女優さんたちははるかに若いぞ。
 BB8というまるでR2B2みたいなのも出てきたけど、そのR2B2もC3POとともに復活しちゃった。

ダス・ベイダーの孫のお話になっちゃった


 ハン・ソロとレイア姫が結婚してできた子どもがレン。なぜかダス・ベイダーの弟子みたいになっている。残念ながら、ダスベイダーは骨とヘルメットになっていたけど。この不肖の息子に父親ハン・ソロは殺されちゃう。年齢的に次回作に出るのはもう限界なんだろうな。
 ベイダーと言えば「フォース」。そうか、レイア姫の不肖の息子レンはベイダーつまりアナキン・スカイウオーカーの孫かあ。ならば悪い方のフォースが出てきても当然だな。とすると、もう1人のフォースの持ち主、レイはルーク・スカイウォーカーの子供?と思っていたら、最後に出てきましたルーク、すなわちマーク・ハミルが。懐かしい顔。ひげ面でよくは分からなかったけど、今年66歳とか。レンはハン・ソロを殺し、レイとも戦うけど、レイがルークの娘だったらいとこ同士で戦い,ハン・ソロはレイが姪と知らずに死んだことになるんだけどなあ。

ファミリーヒストリーだなあ、これ


 今回は多くの謎を残したまま、それ以上のストーリーは展開せず。次回作に期待を持たせた格好になっているが、それにしても38年前の第1作の出演者たちがファミリーとなって出てくるなんて、すごく日本的な感じもしますわな。
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帯状疱疹になっちゃった(その2)1カ月過ぎても治らない

 3週目、帯状疱疹は患部にかさぶたができはじめた。黒く硬い血の塊、やがてぽろっと落ちる。普通の傷ならかさぶたが落ちれば終わりだが、傷みは変わらない。といっても多少は緩和したので、15分ほどなら車を運転しても我慢できるようになった。週後半、親類の葬儀のため、新幹線で4時間かけて移動することになった。全身の痛みは少しだけ減ってきた。しかし、患部は別。姿勢をいろいろ変えてお尻が当たらないようにするのだが、4時間となると、かなりつらい。

2週間過ぎてかさぶた 痛みは治まらず

 ネットなどで調べると、2週間を過ぎると、かさぶたが落ち始めると書かれていたので、順調だと感じる。ただ、治療薬の投与で痛みがなくなる、ようなことが書いてあったが、それはまったく当てはまらなかった。
 ちゃんと治療していれば3週間から1カ月で治癒とも書かれている。そんなことを期待していたが、3週目ぐらいからと症状は変わらなかった。かさぶたは落ちても患部は相変わらず痛い。頭痛も節々の痛みも相変わらず。4週目に入ってすぐ受診したところ、血液検査ではウイルスに対する抗体価が上がっていないと言われた。ウイルスをやっつけるため、通常なら抗体ができてくるものなのだが、私はできてこない。「まるで免疫不全?」というと、皮膚科医は「抗体価が上がらないのなら単純ヘルペスということになるのだが、症状から見て帯状疱疹に違いはない」「免疫が弱い可能性があるので感染には気をつけて」と怖いことをいう。ただし、この説明は間違いだったことが、その後分かるのだが。

4週過ぎてもまだ痛み

 丸4週過ぎたところで、頭痛や節々の痛みはほぼ治まった。しかし、患部の痛みは少し弱まったものの、ひりひりする痛みは相変わらずだが、出勤することにした。入院中に見たあの患者は、3週間ほどの入院で歩けなくなっていた。そんなことになっては困ると思ったからだ。行き帰りの電車、会社の椅子、いずれもひりひりするが耐えるしかない。それでも車を運転するとき、痛みを感じない日もあった。
 このころ、ズキンズキンやヒリヒリなどの表面的な痛みとは別に、患部全体がしびれるような感覚になった。触ってみると、ざーっとするような感じがある。1年半前まで7カ月にわたって投与された抗がん剤の副作用で今も両足がしびれているが、それと同じ感じだ。おできの跡も消えてはいない。赤黒い斑点が5、6個あり、1つは2センチほどの直径がある。

発症はもっと前?

 ところで早く治療を始めたつもりなのだが、よく考えてみると、赤い斑点を発見した金曜日の週は月曜からおかしかった。自宅で同窓会の手紙を封筒に詰めただけで気分が悪くなったり、水曜には右の太ももから、膝下にかけて皮膚が突っ張るような感覚があったりした。今思えば、あれは初期症状だった可能性がある。とすると、早い時期に治療始めたわけではなかったのかもしれない。

後遺症の可能性

 気になるのは、後遺症だ。帯状疱疹は単なる皮膚疾患のように見えるが、その下の神経がウイルスによって破壊される病気だ。神経の破壊がひどければひどいほど、鈍痛が長く続くと言われている。1年も悩まされたという話はよく聞く。私の場合、少なくとも2カ月たっても、痛みは消えておらず、さらに続く可能性もある。
 帯状疱疹の発症は9月10月の秋が6割を占めると言われている。私の場合、まさにそれ。夏の疲れに負けたということだろう。今夏は結構、はしゃいでいたことは事実だ。前年の夏は7カ月に及ぶがん治療を5月末に終えたばかりで、頭髪もなく、歩くのもおぼつかなかった。それを取り戻そうとしたのが今年の夏だった。帯状疱疹が再発することはまずないと聞いており、がん治療の通過儀礼が済んだと思いたい。

2017年12月12日火曜日

とうとう帯状疱疹に(その1)えらい目に遭ったわ

 最初、気づいたのは車に乗っているときだった。右のお尻の下、座席のシートに当たる場所がひりひりする。もともとアトピー持ちなので夜中、ひどく掻いたんだろう、ぐらいに思ってた。寝る直前いなってどうも気になり、手鏡で見てみた。すると、直径1センチほどのこれまで見たことがないような大きなおできがあった。アセモともかき傷とも違う。「帯状疱疹?」頭をそんな言葉がよぎった。慌てて1年ほど前まで予防薬で飲んでいた帯状疱疹の治療薬アシクロビルをのんだ。それから2カ月。帯状疱疹の予想外に重い症状でひどい目に遭ったことを2回にわたってレポートする。あー、ホントにしんどかった。

お尻の下に5、6個の大きな湿疹

 朝になると、赤い湿疹は右膝の裏からお尻の下まで広がっていた。そのうち5、6個は1センチぐらいの大きさがある。土曜だったので、すぐに開いていた近所の皮膚科に出かけ、「これは帯状疱疹。しっかりできてるなあ」との診断を受けた。バラシクロビルという、アシクロビルを少しバージョンアップした治療薬が処方された。化膿どめの抗生物質入り塗り薬と痛み止めのビタミンB12も。

すぐに治療薬をのむが、痛みは続く

 治療開始は早ければ早いほうがいい、どこにもそう書いてある。だから、家に帰るとバラシクロビルをのみ、2時間しての昼食後も服用、さらに夜ものむ。気分的にはこれで治まると思っていた。ところがその後の展開は全く違った。翌日、さらに翌日と赤い湿疹はどんどん増えていく。右の足の裏、右の脇腹にもぽつんと1つだけできる。4日目ぐらいからは、右の側頭部にきんと痛みが走る。お腹の右側あたりにも時々、きゅんと痛みが繰り返す。その結果、ほとんど動く気がなくなってしまった。座ろうとすると、右のお尻の下側が痛くて座るのがつらい。右足を立て気味にして、お尻を浮かしながら座るのだが、変な姿勢なので今度は腰が痛くなる。結局、寝っ転がるしかないのだ。

「痛い」分かる患者の気持ち

 1年半ほど前、長期入院したとき、帯状疱疹の入院患者が1日中、痛い痛いというのを聞いていた。60過ぎの男性患者だが、結構、普段元気なのに突然、痛いという叫び声をあげる。ナースいじりが大好きタイプの人だったので、気を引こうと大げさにしているんだと思っていた。だが、自分がやってみて、あの叫び声の意味が分かった。患部の痛みは叫ぶほどではなかったが、突然やってくる頭痛や腹部の痛みは確かにきつい。「痛た」と言いたくなる。

1週間過ぎて一番つらい時期に 薬はなし

 発症1週間ぐらいからは風邪症状も始まった。くしゃみ、のどいた、鼻からは青っぱなも出る。おまけに間断のない右半身の痛み。薬はきちんとのんでいるのに、むしろ状態は悪くなるばかり。ちょうど1週間、再び診察を受ける。「枯れてきました。薬はもう大丈夫」と治療薬投与は打ち切られた。痛み止めと塗り薬は続けるように指示された。
 発疹が出て1週間から2週間。この時期が一番きつかった。治療薬の投与はなく、こちらはひたすら寝っ転がって我慢するだけだ。食事を取るにも、短時間しか座ってられないのでできるだけさっと食べる。洋式トイレはひと苦労だ。座ると、便座に患部が当たって痛い。右手を便座の上に置いて、その上に右のお尻を乗せるようにした。立ち上がるときも、患部がすれないように、左手で壁に手を突いて体全体をささえながらでないと、立ち上がれなかった。会社には1週間ほど休めば大丈夫と伝えていたが、とても仕事ができる状態ではなく休みは2週間になった。


 帯状疱疹は3週間から1カ月で治まる、ネット情報を信じたが、ことはそう簡単ではなかった。お尻の下にできたために、座ることができず移動も仕事もできなくなった。ほぼ大丈夫と思ったのは1カ月半後。周囲で聞くと、かかった人も2、3週間で治まっており、自分の免疫に自信をなくしてしまった。<!--more-->